戦後の歌謡界を代表する歌手と言えば「美空ひばり」さんです。
12歳でデビューしたひばりさんは天才少女歌手として、歌謡曲や映画、舞台などで活躍しました。
そんなひばりさんの住まいと言えば“ひばり御殿”です。
そのひばり御殿が、1984年に取り壊されたことがありました。
果たして、そこにはどのような理由があったのでしょうか。
名前:美空ひばり(みそらひばり)
出生名:加藤和枝(かとうかずえ)
生年月日:1937年5月29日~1989年6月24日(享年52歳)
職業:歌手、女優
レーベル:日本コロムビア
事務所:ひばりプロダクション
出身:神奈川県横浜市磯子区滝頭
学歴:精華学園高等部
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東京都目黒区青葉台にあった美空ひばりさん(当時46歳)の家が取り壊されたのは1984年のことでした。
1984年2月10日から解体工事が始まって、あっという間に更地になったのです。
とは言え、これはひばりさんの身に何かが起こったというわけではなく、同じ土地に住まいを新築するのが目的でした。
当時、“ひばり御殿”と言えば金ピカ豪邸のシンボル。
そのひばり御殿が1973年の3月に完成してからまる11年。
ひばりさんは鉄筋3階建ての御殿をこんなにも早く建て替えたのでした。
鉄筋コンクリート住宅の耐用年数は60年余…
このひばり御殿の解体は「早すぎる」という声があったのです。
当時の工事関係者の話によると、新居も鉄筋コンクリートの3階建て。
その年に完成する予定となっていました。
日本コロムビアの宣伝部の村松一郎さんは、
確かに、今建て替えていると聞いています。本人が言うには、前の家は母が作ったものだし、今度初めて自分の手で自分の城を築きたいということです。前の家は色々悪いことが重なったし、住まいとしての欠陥も何か所か出て来たと言ってます。去年のうちから設計に入って、来年の誕生日、つまり5月29日までに内装など全てを終わって住めればいいということです。
とのコメントが出ていました。
これで、早すぎる新築の理由が明らかになります。
実はひばりさんは、母親離れを図っていたのです。
振り返れば、この“ひばり御殿”に住んでいる11年の間に色んなことがありました。
新築早々に実弟の加藤哲也さんが賭博容疑で6度目の逮捕。
隣近所からの覗きに耐えかねて移転を噂される騒ぎもありました。
1976年には住み込み運転手の泥棒事件。
1981年7月には“限りなくひばりに近い”と言われた母親・喜美枝さんが他界。
そして、1983年10月には加藤哲也さんが他界。
御殿にしては、あまりに暗く悲しいことの連続していたのです。
とりわけ母親と弟のあいつぐ死去は、ひばりさんにとって、生涯最大といって良いほどの試練だったでしょう。
それを乗り越えて、哲也さんの遺児でひばりさんの養子・和也さんと二人になった時、ひばりさんが選んだのは暗い過去との決別だったのではないでしょうか。
そして43年間二人三脚で歩んだ母親からの自立。
そのために建築後11年しかたたない御殿を壊したのではないでしょうか。
母親の死後3年。
こうしてひばりさんこと加藤和枝さんは、初めて施主になったのです。
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