有名なサックス演奏者である「MALTA(マルタ)」さん。
かつては若いアイドル達に交じってヒットチャートに名を連ねていた人気者ですが、それ以上に離婚歴が多いということでも有名でした。
何しろ4回結婚して4回とも離婚…
現在は5回目の結婚で落ち着いているそうですが、過去には様々な女性達との出会いと数々のドラマチックな人生がありました。
名前:MALTA(マルタ)
本名:丸田良昭(まるたよしあき)
生年月日:1949年9月19日(70歳)
職業:サックス奏者
レーベル:ビクターエンタテインメント
出身:鳥取県倉吉市
学歴:東京芸術大学、バークリー音楽大学
Sponsored Links
この間、青山のハーゲンダッツの前を通りかかったら、中学生くらいの女の子たちが僕の方を指差して何か言ってるわけ。僕のことだとは思わないから、後ろを振り返ってみたのね。でも誰もいない。あれっ、オレかなーと思って、イェーイって手を振ってみた。すると彼女たちがキャーキャー言うんですよ。これには驚いた。認知度というか、知名度がここまで広がっているなんて思いもよらなかったですから。
そう語ったのはサックス演奏者MALTAさん。
1987年のことでした。
MALTAさんと言えば、当時一番熱い視線を浴びていたジャズサックスプレーヤー。
ジャズはどちらかと言えば大人の音楽…
一流の腕前を持つとは言え、MALTAさんがどうして若い女の子から声援を受けていたのでしょうか。
実は、この時すでにMALTAさんの名は主婦層にまで知れ渡っていました。
というのも、1987年4月からNHKテレビのアイドル人気番組「ヤングスタジオ101」に司会者として登場していたからです。
見てる人は見てるんだなあって思いましたね。最初に出演依頼の話があったとき、周りの仲間やスタッフは反対しましたよ。でも出てよかった。「音楽二枚目、人間三枚目」。これ僕のウリなんです。ほんとは、しゃべると三枚目になっちゃうってことなんですけどね(笑)
とも語っていました。
MALTAさんは1949年9月、鳥取県倉吉市に生まれました。
実家は酒屋。
母親は宝塚歌劇団に7年間在籍した元ヅカガール。
越路吹雪さん、月丘夢路さん、乙羽信子さんらが活躍していた頃です。
父親も旧制中学時代に管楽器に親しんでいました。
MALTAさんの兄も音楽が好きで、よくジャズを聴いていたそうです。
小学6年の時にトロンボーンを買ってもらい、中学2年でサックスに転向。
しかし、両親はまさか息子がプロの道に進むとは夢にも思っていなかったそうです。
その頃から僕は音楽の道に生きるんだと思ってた。僕はひどいドモリで、人前で話すのが苦手だったんです。一人でいるのが好きだった。楽器と一緒だと言葉もいらないし、そして一番自分に素直になれたんです。
とも語っていました。
1973年の春、MALTAさんは東京芸術大学器楽科を卒業。
その年の8月、ボストンにあるバークリー音楽大学へ入学するため渡米しました。
バークリーと言えば当時、日本人だけでも渡辺貞夫さんや秋吉敏子さんを始めとして、一流のミュージシャンを輩出している名門校です。
ここで彼はジャズ作曲法、アレンジ法を学びました。
そして成績優秀のため、4年間の課程を2年半ほどで卒業します。
渡米修業生活は結局9年間続くことになりました。
その間には数多くの人との出会いがあり、志を同じくする仲間やジャズ界の巨匠、そして女性…
MALTAさんに様々な影響を与えた忘れえぬ女性たちの姿もそこにあったのです。
東京芸大を卒葉した頃、MALTAさんは一人の女性と知り合いました。
渡米直後、彼女に婚約届をエアメールで送らせ、MALTAさんはすぐにそれにサインをして送り返します。
そして1973年11月に入籍。
しかし、彼女はMALTAさんの待つボストンへはとうとう来なかったのです。
ましてや電話も手紙も来ません。
入籍の日を境に彼女の行方がわからなくなってしまったのです。
1ヶ月ほどたってようやく電話がありました。
「ごめんなさい」と。
彼女はただ泣いて謝るだけで、それ以外は何も言いません。
MALTAさんにとっては、何とも不可解な彼女の行動でした。
結婚式も挙げず、一緒に暮らすこともなく、最初の結婚に終止符が打たれたのです。
未だに理由がわからない。幸せになっていてくれればいいんですけどね。
と話すMALTAさん。
それから2年後、MALTAさんはバークリーの仲間と11人編成のバンドを組みました。
夏休みを利用して、メンバーの一人の出身地であるバハマのホテルで演奏することになったのです。
しかし車で1週間かかってようやくフロリダへ着き、バハマへ渡ろうとした矢先、先方のホテルでトラブルが発生…
フロリダで2週間も足止めを食うハメになってしまいました。
そこで急遽、メンバーの案内で黒人が多く暮らす村で合宿することになったのです。
初めて村にやってきた東洋人…
MALTAさんはちょっとした人気者となりました。
若くて背の高いモデルをしているという女性に好かれちゃった。こっちも下心がなかったといえばウソになるけどね(笑)
しかし彼女の自宅に案内されることは決してありませんでした。
そんなある夜、二人は浜辺で関係を持つのです。
翌朝ですよ、すごい剣幕で見知らぬ男がどなり込んで来た。いきなりライフルの銃口を突きつけられたんです。亭主だったんですね。これでオレの人生も終わりだ、そう思いましたよ。
幸いにも、メンバーが間に立ってくれてどうにかことなきを得ました。
そして、その時MALTAさんはこう肝に銘じたのです。
据え膳食うは男の恥。殺されたんじゃ、何をしにアメリカに来たのかわかんないもんね。
と。
それから数日後、小柄な金髪女性と知り合います。
彼女には不幸な過去がありました。
誤って後頭部を銃で撃たれたのです。
奇跡的に一命は取り留めたものの、後遺症のため満足に歩けない状態でした。
どうも銃に縁があるんですよね(笑)付き合ってるうちに同情が愛情に変わっていったんです。彼女もボストンに住んでることがわかり、すっかり意気投合しちゃって…彼女、バーバラは巨額の賠償金をもらっていましたから金には不自由しない。リンカーンを買ってもらったり、プール付きの家に住まわせてもらったり、しまいには「クラブを一軒買ってやるからニューヨークに行くのはやめてくれ」とまで言われました。彼女の両親には財産目当てと疑われたけど、僕は真剣だった。
MALTAさんは悩みました。
ジャズを捨てて彼女に尽くそうか、と。
しかし、ジャスをやるにはニューヨークです。
MALTAさんは断腸の思いでバーバラさんの元を去ったのです。
1976年秋、MALTAさんはバークリーで教鞭を執るようになっていました。
そして教え子ではありませんでしたが、ポーラという19歳の学生と知り合います。
彼女の父親はかつて日本にいたことがあり、父娘ともに日本びいき。
しかし、交際を続けるうちにMALTAさんのビザの有効期限が迫ってきました。
あなたはアメリカに残る価値のある人、だから権利をあげる…そういって契約結婚してくれたんです。本当の結婚ではないペーパーマリッジ。
翌1977年3月、二人はボストンで入籍。
彼女のおかげで、アメリカで活動するのに欠かせないグリーンカード(永住権)を手に入れることができたのです。
しかし、契約結婚とは言え、次第に情が移っていき…
MALTAさんはそれを必死にこらえました。
彼女も同じ思いだったに違いありません。
あなたの女房は私じゃない、サックスでしょ。
そう彼女から言われたMALTAさん。
最初の約束通り二人は別れ、MALTAさんはニューヨークで活動を始めることになったのです。
ニューヨークは冷徹な街でした。
MALTAさんは何度となく挫折しかけます。
辛酸もなめました。
事実、 サックスを諦めかけたこともあったそうです。
それを救ってくれたのは、ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者のライオネル・ハンプトンからの誘いでした。
そして一流プレーヤーとしての活動が始まるのです。
1981年9月、ライオネル・ハンプトン楽団は「オーレックス・ジャズ・フェスティバル」に招かれて来日。
MALTAさんは8年ぶりに日本の土を踏みました。
久しぶりの家族との再会。
そして、一人の女性との対面。
その年の春、ある日本の雑誌の企画をきっかけに文通を始めた女性でした。
しかし、すぐアメリカに戻らなければなりません。
一緒にニューヨークで暮らしたいMALTAさんは熱っぽく口説きました。
しかし、 彼女は渡米したくないと拒否…
彼女への思いは募る一方でした。
その翌年、MALTAさんはついに帰国を決意するのです。
仕事より彼女を選んだというわけですよ
と語るMALTAさん。
1982年11月に帰国し二人は結婚。
しかし、海を越えてあれほど燃え上がった情熱は、その後半年あまりで冷え切ってしまいます。
37歳で離婚が3回。でも、結婚したという実感はまるでなかったですね。
それからの2年間、MALTAさんは仕事に全てを賭けました。
そんなある日、都内のライブハウスで仕事をこなしたMALTAさんは、閉店後ある女性と出会います。
それは観客の一人でした。
道に迷い、店に戻ったのだと言います。
またも偶然の出会いでした。
1987年4月7日、その女性・万紀さん(当時26歳)とゴールイン。
4回目の結婚となりました。
正直言って、今が一番幸せです。家のことも安心して任せられるし。
と語っていたMALTAさんですが、この結婚もMALTAさんの浮気が原因で1年で終止符を打ちます。
その後、5度目の結婚をしていて現在はやっと落ち着いている様子。
2014年4月からは、母校である東京藝術大学の音楽学部客員教授に就任しています。
Sponsored Links