元はNHKアナウンサーで、現在はホリプロに所属するフリーアナウンサーの「登坂淳一」さん。
そんな登坂さんには別名(愛称)があり、主にインターネットなどで「麿(まろ)」と呼ばれているのです。
では、そもそも登坂さんが麿と呼ばれるようになった由来は何だったのでしょうか。
今回は登坂さんと愛称の麿に関するお話です。
名前:登坂淳一(とさかじゅんいち)
生年月日:1971年6月10日(47歳)
職業:フリーアナウンサー
所属:ホリプロ
出身:東京都板橋区
学歴:法政大学経済学部
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登坂淳一さんのWikipediaを見ても、愛称のところにしっかりと「麿(まろ)」とあります。
また、2011年3月16日にNHK広報局が、震災応援で登坂さんが全国ニュースに出演したことを受けてTwitter公式アカウントで「まろ…」とウィートしています。
まろ…
— NHK広報局 (@NHK_PR) 2011年3月16日
さらに他でも、2014年に大阪放送局への異動が決まってからは、大阪放送局Twitterで「麿自撮り」、「麿」などのキーワードにハッシュタグが付けられるなど度々使用されているのです。
さて、それでは登坂さんが麿と呼ばれるようになった理由は何だったのでしょうか?
インターネット上で調べてみると3つの由来があがっていました。
まずは1つ目の由来は「白髪」です。
登坂さんの白髪が話題になったのは35歳の時でした。
それまではずっと染めていたりしたのですが、遺伝なのかストレスの影響なのか白髪の量が増えていき、思い切って染めずにテレビに出るようになったのです。
もちろん、そんな登坂アナウンサーの様子を見た視聴者からは問い合わせの電話が殺到しました。
それでも登坂さんは、そのまま白髪交じリの髪でテレビに出演し続け、いつの間にか定着していったのです。
そして、その白髪混じりの髪が秋篠宮皇嗣殿下を連想させるということもあり、麿と呼ばれる由来になったのではないかという説です。
続いて、2つ目の理由は「風貌が公家風」だからというものです。
そもそも公家とは、元は「こうけ」や「おおやけ」と読まれ、朝廷に仕える貴族や上級官人などの総称です。
公家の大半は藤原氏と源氏で、その他には桓武天皇の子孫などがいました。
明治維新後には公家華族と呼ばれるようになり、公爵や伯爵、子爵や男爵など華族と呼ばれる人たちが継いでいきます。
さて、登坂さんもそのような家系なのか?と言われると、そうではなく単に顔立ちが上品で公家風なイメージがあるからというものでした。
時代劇などで公家の演技をしている人を見ると、公家装束を着て烏帽子(えぼうし)をかぶり、話し方も「おじゃる」、「ごじゃる」、一人称は「麿」もしくは「麻呂(まろ)」と話しているイメージの公家。
おそらく、このようなイメージが登坂さんの麿に由来したのではないでしょうか。
さて、最後、3つ目の由来として登坂さんがニュースの中で「粟(あわ)」を「栗(くり)」と間違えて読んだことがあり、栗は「マロン」ということで、そこから「麿」になったと言う説がありました。
この説の真意はわかりませんが、登坂さんの読み間違いを冗談めいて、こう呼ぶようになったのが由来だと言います。
ちなみに余談ですが、実は「栗=マロン」ではありません。
そもそもマロンは英語ではなく、フランス語から来ているのですが、英語で栗はChestnut、フランス語だとchâtaigneとなります。
では、マロンはどこから来たかと言えば、元はマロニエ(栃ノ木)の実からです。
ヨーロッパでは永遠の愛を誓う証として、男性が女性にマロングラッセを贈る習慣があり、昔のフランスではマロニエの実を使ってマロングラッセを作っていたのですが、その後に栗の実で代用するようになったのです。
とは言え、今ではほぼ「栗=マロン」ですが…
さて、話は戻って以上のような背景が、登坂さんが麿と呼ばれるようになった由来だったのではないでしょうか。
2019年4月7日からは退職後初のレギュラー番組である「TOKYO LOVE SPORTS」でキャスターを務めることになった登坂さん。
さらに2019年4月7日から「BSフジNEWS」の日曜昼放送分のキャスターを務めています。
これからはフリーになった麿の様子を見守っていきましょう。
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