短大在学中の1978年にミス・ユニバース日本代表に選出…
その後はテレビドラマ「なっちゃんの写真館」や「京都殺人案内」、「八丁堀の七人」などの出演している「萬田久子」さん。
今回はそんな萬田久子さんと内縁の夫である佐々木力との事実婚についてです。
名前:萬田久子(まんだひさこ)
別名義:万田久子(まんだひさこ)
生年月日:1958年4月13日(60歳)
職業:女優
学歴:帝塚山短期大学
所属:オフィス萬田
出身:大阪府大阪市大正区
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萬田さんが未婚の母となり記者会見をしたのは、1983年の2月1日のことでした。
「望んで未婚の母になったわけじゃないけど、誇りを持って生きている」…
記者会見で心境を問われた萬田さん(当時29歳)は悪びれた様子もなく、堂々とこう答えました。
前年の6月、萬田さんはCMなどの仕事をすべてキャンセルして、語学留学と称して渡米していました。
そして、1982年の10月にニューヨークで男児を出産したのです。
その父親というのが当時、アパレル会社を経営するヤリ手の実業家・佐々木力さん(当時36歳)でした。
実は萬田さんがニューヨーク滞在時に住んでいたのが、佐々木さんの所有するマンションだったのです。
しかも、すでに2年前から2人が交際しているとの噂が流れており、このことはすぐに明らかになりました。
ただ、初めのうちは各誌は匿名にしていたのですが、佐々木さん本人にまったく隠す様子がないので、しばらくすると各誌で本名を報じるようになったのです。
当初、なぜ名前を伏せていたか?というと、佐々木さんが芸能人でないことに加え、萬田さんとの仲が不倫だったからでした。
佐々木さんには正式に籍を入れた妻とその間に3人の子供がいたのです。
萬田さんもいずれは妻の座につきたいのだろうと思われていました。
なぜなら、会見で結婚について問われ、彼女は「(結婚を)望まない女性はいないでしょう」と答えていたからです。
この関係が世間に知られてから間もなく、萬田さん、佐々木さん、そして長男の3人は同居生活を始めます。
その後、1994年には佐々木さんと正妻との間で離婚が成立…
しかし、萬田さんが佐々木さんの籍に入ることはありませんでした。
当初、略奪愛とバッシングを受けたこともあって、萬田さんの中で色々と複雑な思いが交錯していたようなのです。
先妻やその家族への遠慮、彼女自身の女の意地…
そのうち無理に籍に入らなくても…という気持ちに傾いていったそうです。
法律上の正式な夫婦になることはありませんでしたが、萬田さんは佐々木さんにとことん尽くしました。
たとえば1999年暮れに、佐々木さんの香港の会社が倒産してしまったことがあります。
その直前、東京・目黒にある自宅の名義は佐々木さんから萬田さんに移され、それを担保に萬田さん名義で8000万円を借り入れし、苦境のパートナーをなんとか救おうと、萬田さんが借金を背負ったということがありました。
その後、佐々木さんのビジネスは好転…
2009年には佐々木さんがオーナーを務める会社がユニクロを展開するファーストリテイリングに買収され、60億円近くの売却益を得たのです。
このとき同じく株主だった萬田さんにも数億円が入ってきたといいます。
しかし、幸運ばかりではありませんでした…
前後して佐々木さんが愛人に産ませた女児の存在が発覚するのです。
隠し子騒動で萬田さんの心労がピークに達していた頃、追い打ちをかけるように、さらに悪いニュースが飛び込んできました。
2011年6月下旬、不調を訴えていた佐々木さんが病院で検査を受けると、胃がんが見つかったのです。
しかも進行の速いスキルス性で、すでに末期の段階でした。
8月に入ると、萬田さんは病院に泊まり込み、つきっきりで看病しましたが9日に佐々木さんは帰らぬ人となったのです。
がんがわかってからわずか40日…
佐々木もさんもまだ60歳でした。
結局、最後まで萬田さんが佐々木さんの籍に入ることはなかったのです。
現在も第一線で活躍している萬田さんに、このような過去があったのです。
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