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海原小浜の半生と孫のやすよ・ともこ





上方漫才界の生き字引…
1975年に「上方お笑い大賞」を受賞し、上方演芸の殿堂入りを果たした漫才コンビ<海原お浜・小浜>の「海原小浜」さんが亡くなったのは2015年のクリスマスイヴでした。

名前:海原小浜(うなばらこはま)
本名:田中桃江
生年月日:1923年4月15日~2015年12月24日(享年92歳)
出身:岡山県高梁市
職業:漫才師
親族:夫は浪曲師の石川玉若、孫に漫才師の海原やすよ・ともこ(姉妹)




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小浜さんの舞台デビューは4歳のとき…
小浜さんのご両親が芸人関係だったため、物心ついてときには舞台に上がっていたのです。
しかし早くにお母様が亡くなったため、義理のお父様に育てられていたのですが、そのお父様も亡くなり、小浜さんは一座の子供座長となります。
その後、小浜さんは9歳の時に後の相方となる叔母のお浜さん(17歳)と1933年コンビ「ハッピー姉妹」結成しました。

戦中の風潮により、コンビ名を「愛国お浜・小浜」と改称、その後は「さざ波お浜・小浜」を経て、現在の「海原お浜・小浜」となりましたのです。

戦中は地方をドサ回りし、かなりの冷遇を受けたお二人ですが、徐々に舞台に出るようになります。
難波利三氏の直木賞作品「てんのじ村」でも有名な大阪・西成区の「てんのじ村」を拠点にしながら、漫才作家秋田實氏に書き下ろしたロマンスシリーズなどで人気を得ます。
そうして1967年には上方漫才大賞の大賞を、1975年には上方お笑い大賞の大賞を受賞…

しかし1976年に相方のお浜さんが白内障を患い、正式にコンビ解消します。
ちなみにコンビ解消のサヨナラ公演は後にテレビ中継され、当時の多くの関西芸人が駆け付けたと言います。
その後も小浜さんは司会者やタレントとして活躍されていました。

2006年3月には上方演芸の殿堂入りを果たし、小浜さんは浪曲師の石川玉若さんと結婚…
一男一女を授かっています。

長男は漫才コンビ「海原かける・めぐる」のかけるさんで、かけるさんの娘が関西でも人気の女性漫才コンビ・海原やすよ・ともこさん姉妹になります。
ちなみにかけるさんの相方は「めぐるさん」は2人おり、初代が後の玄ゴローさんで二代が、吉本新喜劇でおなじみの池乃めだかさんです。

特に女性お笑いコンビである「今いくよ・くるよ」さんを始めとして、弟子の「海原千里・万里」さんや「海原さおり・しおり」さんにも、
大きな影響を与えた<海原お浜・小浜>さん…
お二人の力や実績がなければ、今の女性お笑いコンビもまた違っていたかも知れません。

特に海原小浜さんがお生まれになった1924年(大正13年)と言えば、女性の社会的な地位も違っていたかと思います。
例えば1925年当時の選挙権は、25歳以上の男子(人口の20%)しか認められていませんでした。
女性の選挙権が認められたのは、それから20年後の1945年でした。
もちろんこれは日本に限った事ではありませんが、選挙権という一点だけを見ても、女性の社会進出が難しかった時代であることが分かります。

そんな時代に女性漫才師として、また最高名誉である上方漫才大賞や、上方お笑い大賞を受賞を受賞されたことは、特に今の女性漫才師やお笑い芸人の礎になったと思います。




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