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かとうかず子…現在から元夫(東国原英夫)の女性問題を振り返る





1990年に美人女優とお笑いタレントの電撃婚として…
しかも、デキ婚というので話題になったのが、「かとうかず子」さん(当時33歳)と、そのまんま東さんこと「東国原英夫」さん(当時33歳)でした。
しかしその後、かとうさんは元夫の東国原さんの女性問題に何度も悩まされることになります。

名前:かとうかず子(かとうかずこ)
本名:加藤和子(かとうかずこ)
生年月日:1958年2月20日(60歳)
職業:女優、タレント
所属:enchante
出生地:愛知県名古屋市千種区(現在の名東区にあたる地区)
学歴:愛知淑徳大学



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当時、夫婦生活の中で、かとうさんを悩ませたのは東国原さんの女性問題でした。
1995年8月、週刊誌「女性自身」が東国原さん(当時37歳)の3年越しの愛人の存在をスクープしたのです。

相手は六本木のクラブに勤めるホステス(当時25歳)…
東国原さんと月1回のデートを重ねていたと言います。
「女性自身」は、かとうさん(当時37歳)とホステスとのやりとりを記事にしていました。

ホステスが東国原さんの仕事のスタッフと名乗ってかとうさん宅に電話をかけてきましたが、かとうさんはホステスを吊るし上げたのです。

かとうさんはホステスに「外で夫と会うのは構いませんが、私の家の中にまで持ち込まないでね」とくぎを刺して「夫に言ってください。あんまり頻繁に会うと私にバレますよって」と毅然と対応しました。

その1週間後の9月…
今度は「週刊女性」で別の不倫が発覚します。
1995年5月、東国原さんが郷里の宮崎に同窓会で帰郷した際、19歳の看護師と浮気したというものです。

これに、かとうさんは「私は知りませんし、本人同士の問題というか、私は関係はない」と語って離婚を否定しました。
しかし、腹の中は煮えくり返っていたようで、2人の子供を連れて名古屋の実家に帰ってしまったのです。

これに困り果てた東国原さんはバラエティー番組で土下座…
「もう金輪際、浮気はしません。こりごりです」と謝罪し、どうにか元のさやに収まったのでした。

しかし、それでも東国原さんの浮気癖は治らず…
1998年6月には写真誌「フォーカス」が東国原さんの別宅不倫をキャッチ。

会見を開いた東国原さんは「2週間前に知り合った女性で部屋で映画を見ただけ」と苦しい弁明をしました。
これに、かとうさんも「アイドルの言い訳じゃっないんだから」と激怒したのです。

その4カ月後の1998年10月…
今度は東国原さんが淫行騒動を起こします。

かとうさんはマスコミ各社にファクスを流し、「この度、私の家族である夫・そのまんま東が新聞紙面等をにぎわしている常識を逸脱した不祥事に対し、妻として深くお詫び致したく思います。」と謝罪しました。

1999年3月には謹慎が解けて、東国原さんが謝罪会見を行った後、かとうさんは月刊誌で心境を初告しました。
「精神的に参っていたときに助けてくれた人だから、大事にしなくてはいけない。夫が戻れる場所がないといけない。戻る場所は家庭だと思う」と吐露し、「とっても高い授業料だったかもしれないけれど、損をしていないんじゃないかな」語ったのです。

入籍は1990年3月、出会いは東国原さんが原作のドラマ「ビートたけし殺人事件」(1989年)での共演でした。
かとうさんが東国原さんが交際していた女性に片っ端から電話して別れさせ、妻の座におさまったのです。
夫婦の絆は確かなもので、度重なる愛人問題も乗り越えてきました。

ここまで浮気されても東国原さんを見捨てない妻・かとうさんだったのですが、この固い絆で結ばれていたはずの夫婦関係は2006年2月にあっさり破城してしまいます。

しかも理由は女性問題ではなく、かとうさんが宮崎県知事として政治家に転身する東国原さんについていけなくなったためでした。
東国原さんによれば「政治活動する人は生理的に受け付ず、一緒に居るのもイヤ」と三行半を突きつけられたとか…

離婚後、東国原さんからの慰謝料と養育費はなし…
最近のかとうさんさんは?と言えば、テレビドラマ「おそろし~三島屋変調百物語」(2014年)や「特命おばさん検事!花村絢乃の事件ファイル5」(2017年)などに出演し、女の細腕で子供を育てています。





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