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野口五郎がケイや斉藤慶子と結婚しなかった理由とは?




 

西城秀樹さん、郷ひろみさんとともに新ご三家と呼ばれた「野口五郎」さん。
ピンク・レディーのケイこと増田恵子さんと婚約騒動が起きたのは1979年2月のことでした。

名前:野口五郎(のぐちごろう)
本名:佐藤靖(さとうやすし)
生年月日:1956年2月23日(62歳)
職業:歌手、俳優
所属:オフィス・ジー
出身:岐阜県美濃市




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2月15日、マスコミが一斉に野口さん(当時22歳)とケイさん(当時21歳)の取材を開始しました。
引き金は女性誌が5万部を増刷するというニュースです。

かねてより、野口さんの交際を追っていた同誌の増刷、それが臆測を呼び、ホテルでの密会写真を撮られ、婚約間近といったウワサが飛び交ったのです。

共演する「ザ・ベストテン」(TBS系)のスタジオ前に100人ほどの報道陣が詰め掛けました。
しかし、情報は週刊誌の増刷情報だけ…

確信を持てない記者たちがひそひそと情報交換する状態となっていました。
取材目的が判然としないままスタジオ入りする2人にフラッシュがたかれて異様な雰囲気になったのです。

番組終了後、2人は裏口から脱出しましたが、これで騒ぎが拡大…
翌日の新聞の報道を受け、2人はそれぞれ釈明会見を開きました。

野口さんは「歌手仲間の友だち」、ケイさんも「仕事の話とか電話で相談にのってもらうだけ」と友だちを強調…
騒動について「本命を隠すための当て馬説」まで飛び出す中、野口さんは取材で「好きな人ができたら、ちゃんと言うようにします」とコメントしました。

野口さんとの当時のことについて、ケイさんは日刊ゲンダイの連載の中で名前は出さずにこう語っています。
「相手が同じお仕事をしている人だったこともあって、事務所から驚くほどの圧力がかかってきました。それは初めて週刊誌に掲載されてからずっと。仕事を選ぶか、結婚を選ぶか、二者択一を迫られても仕事は辞めません、でも、彼とも別れませんと断言し続けていました」と。

野口さんは、ケイさんとの婚約報道から5年後の1984年3月…
今度は斉藤慶子さん(当時22歳)との熱愛が報じられました。

1983年12月のテレビ共演で知り合って以来、ハワイでバカンスを楽しんだり、斉藤さんが野口さん宅を訪れたりしていたといわれ、周囲からは「彼からプロポーズされたとうれしそうに話していた」、「野口くんが慶子に心を傾けているのは事実」など次々と証言が飛び出したからです。

当初は交際を否定していた2人ですが、その後、雑誌で野口さんが「完璧な女性だと思うし、かわいい人でもあります。婚約、結婚なんて文字が僕の心の片隅にもきっとあると思う」と語り、交際は続きました。
破局報道が流れた際にも斉藤さんが「いい方向にいければ」と求婚を待っていることを告白したのです。

しかし、最後までプロポーズはありませんでした。
野口さんは「彼女は恋人です」と交際宣言する一方、「男としてのエゴかもしれませんが、僕はとにかく仕事をやりたい」と仕事を優先する姿勢を貫いたのです。

交際開始から4年後の1987年末に野口さんは「結婚を考えていた時期もありますが、うまくかみ合いませんでした」と破局宣言しました。

斉藤さんは1997年7月に実業家と、ケイさんも2002年6月に音響会社社長と結婚…
一方、野口さんは2001年2月、三井ゆりさんと結婚しました。

この結婚は当時、北マリアナ諸島ロタ島での挙式が話題となり、披露宴は徳光和夫さんが司会を務め、その模様が日本テレビにより全国に中継放送されています。

2002年6月5日には第一子となる女児が誕生…
2004年5月2日に第二子となる男児が誕生しています。




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