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林葉直子…失踪→ヘア写真集→中原誠永世名人との不倫まで振り返る




 

1979年に11歳で女流アマ名人戦に優勝…
12歳でプロ棋士デビューし、14歳で女流王将になり天才少女の名を欲しいままにした「林葉直子」さん。

その後も女流王将10連覇など将棋ブームの牽引役でしたが、1994年5月29日、突然対局をすっぽかし失踪騒動に発展します。
思い起こせば、これが彼女のスキャンダラスな人生の幕開けでした。

名前:林葉直子(はやしばなおこ)
生年月日:1968年1月24日(51歳)
職業:女流棋士、タレント、作家、タロット占い師
出身:福岡県福岡市
学歴:第一薬科大学薬学部(中退)

林葉さんは当時26歳…
失踪した時は「サイババに会いにインドに向かった」、「アラブ首長国連邦のドバイで目撃された」、「結婚報道も出ていた医学博士との駆け落ち」などと報じられましたが、当の林葉さんはイギリスとアイルランドで休暇を楽しんで7月中旬に極秘帰国していました。

帰国後の記者会見では「こんな大騒ぎになると思わなかった…」と釈明しましたが、日本将棋連盟からは3ヶ月の出場停止処分を受け、復帰後は不調で唯一保持していた倉敷藤花のタイトルも清水市代さん(現・日本将棋連盟の棋士会副会長、日本将棋連盟常務理事)に2連敗してあっさり失ってしまいます。

翌年8月、日本将棋連盟を退会しますが、この騒ぎの原因がわかるのはずっと後のことでした。

棋士を引退した林葉さんはまた世間を騒がします…
突然のヘアヌード写真集発売したのです。

棋士時代からライトノベル小説家として活動し、失踪騒動後には官能小説まで書いていましたが、ヘアヌードには誰もがビックリ…

この時の会見で

将棋を海外に広めたかったから。写真集の中には将棋を紹介する内容も入ってるんです。

と語り、そのぶっ飛んだ発言にあっけに取られた記者も多かったと言います。

そしてスキャンダルはまだまだ続きます。
1998年4月、林葉さんは中原誠永世十段との不倫を「週刊文春」が大々的に報道しました。

記事では、中原さんが「これから直子邸に突入します。事件になっても知しませんよ。」、「私は林葉直子の愛人でしたと週刊誌に売ります。」などと語った電話の録音テープが紹介されて、林葉さんとの5年間に及ぶ不倫が暴露されたのです。

中原さんは自宅で会見し、不倫を認めて謝罪する一方で「林葉から脅迫まがいの無心な受け、総額1000万以上を渡していた。」との手記を発表しました。

さらに林葉さんの「あなたに逢えたことはなによりもの私の幸せです。」、「永遠に私はあなたを愛しています。」といった直筆とされるラブレターも流出しました。

事態は泥沼の暴露合戦へと発展…
1994年の失踪事件は、実は妊娠したと勘違いし林葉さんが中原さんとの不倫に苦しんだ末、切羽詰まって起こした行動、との報道がなされたのです。

さらにお騒がせは続き…
2001年、林葉さんは「Fカップに豊胸」をネタにテレビのワイドショーに登場します。
そうして自身3冊目となるヘアヌード写真集のアピールも行ったのです。

2006年にはパブル期に建てた豪邸の口ーンが原因で自己破産しましたが、その頃、林葉さんはタロット占い師としての活動を開始し、「金銭面は”死神”のカードが出た」と語っていました。

2010年7月、林葉さんは15年ぶりに将棋の対局の場に現れました。
しかし相手の中倉彰子女流初段に74手であえなく惨敗…
またその容姿は2006年頃から重度の肝硬変を患っていることもあり、天才少女ともてはやされたころの面影は見る影もなくやせ細っていたのです。




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