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石橋蓮司と緑魔子…子供の名前が「阿礼」になった理由とは?




 

1971年から1972年にかけて、芸能界ではちょっとした”未婚の母”ブームが起こっていました。

生まれた赤ちゃんは不幸にも7時間後に亡くなりましたが、相手の名前を決して明かさなかった加賀まりこさん…
籍は入っていたものの、妊娠判明後に間もなく家を飛び出し、一人で子どもを出産した森山良子さん…

しかし、1972年5月3日に女児を出産した「緑魔子」さん(当時28歳)の場合は事情が少し違っていました。

名前:緑魔子(みどりまこ)
本名:石橋良子
生年月日:1944年3月26日(75歳)
職業:俳優
所属:オフィスロータス
出生地:台湾台北市
学歴:宮崎県立宮崎大宮高等学校




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緑魔子さんの場合は、相手が誰かはっきりしており、男性は出産にも付き添ったからです。
つまり、魔子さん自らの意思で入籍していなかったのです。

その相手とは「石橋蓮司」さん(当時30歳)…
形式的なことにはこだわりたくないというのが、2人の一致した考え方でした。

「かも」という映画で共演したのが出会いのきっかけ…
その後「非行少女ヨーコ」や「男なんてなにさ」などで共演し、付き合うようになりました。

当時、魔子さんは東映に所属するスター女優…
一方の石橋さんは蜷川幸雄さんや蟹江敬三さんらと劇団を旗揚げしたところで、財布の中身はいつも空っぽの状態。
魔子さんの稼いでくるカネが頼りだったのです。

2人が一緒に暮らし始めるのは、清水邦夫さんと田原総一朗さんが共同監督したATG映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」で共演した頃から…
魔子さんは東映から独立してフリーになっていました。

石橋さんは魔子さんの渋谷区のマンションに転がり込み、共同生活がスタートしました。
「子供は好きじゃない」と言っていた魔子さんでしたが、自然の成り行きに任せた結果、間もなく妊娠します。

生まれた女児には「阿礼」と名付けました。
2人が好きな高橋和巳さんの小説「邪宗門」に登場する教主の娘の名前です。

魔子さんは当初、「未婚の母があるのなら未婚の父でもいいんじゃないの」と語っていました。

事実、石橋さんが区役所に出生届を提出しにいった際、「石橋阿礼」という名前を記入…
しかし、未婚の父は認められないと拒否され、魔子さんの本名である小島姓に直したのです。

母子と”夫”で2つに分かれていた戸籍が1つになったのは、それから7年後…
長女が小学校に上がる時、女性の担任教師から「手続き上、いろいろ面倒だから籍を入れたらどうか」と提案され、「まあ、それでもいいか」と入籍することに決めました。

籍を入れるか入れないかで論争するほどの思い入れは魔子さん、石橋さんのどちらにもすでになかったのです。
こうして法律上も晴れて夫婦になりましたが、一緒に暮らした期間はそれほど長くはありませんでした。

1980年代半ば、石橋さんは仕事場を借り、自宅にほとんど戻らなくなってしまいます。
2人でいるとすぐにケンカになってしまうというのが別居の理由…
けれども、一緒に芝居もするし競馬に行ったりと、夫婦というより同志という関係に近かったのです。

2012年10月、女性誌が石橋さんの不倫疑惑を報じました…
30代の女性と半同棲状態にあると出たのです。

同誌が石橋さんに直撃すると、「家事を手伝ってもらっているだけ…」と男女の仲を完全否定…
真相はやぶの中ですが、魔子さんと石橋さんがその程度で壊れる関係でないことだけは確かなようです。




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