映画「君死に給うことなかれ」(1954年)でデビューし、1960年の映画「秋日和」や1967年の「乱れ雲」などに出演…
そして1969年には、当時大蔵官僚で現在の夫でもある相澤英之さんと結婚されたのが「司葉子」さんでした。
名前:司葉子(つかさようこ)
本名:相澤葉子(あいざわようこ)
生年月日:1934年8月20日(84歳)
職業:女優、東京福祉大学特任教授
所属:東宝芸能
学歴:共立女子短大
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1969年9月10日、東京は港区のホテルに大蔵省の幹部たちが結集していました。
理由は大蔵省主計局次長から経済企画庁官房長に昇進した相沢英之さん(当時50歳)と、司葉子さん(当時35歳)の結婚式に出席するためです。
「大蔵省の長嶋茂雄」と呼ばれる超エリートと、東宝の看板女優の結婚式だけあって来賓も豪華絢爛…
福田赳夫蔵相、松田竹千代衆院議長、田中角栄自民党幹事長といった面々が祝辞に立ち、東宝の重役たちも顔を揃えました。
けれども、この大物カップルの婚約が発表された時…
世間はもとより関係者も意外という反応を示したのです。
理由は、15歳の年齢差もさることながら、相沢さんには2人のお子さんがいたからです。
6年前に夫人をがんで亡くして男やもめになった相沢さんは、中学3年の長男を自分で育て、小学校4年の次男は夫人の実家に引き取られていました。
さて、そんな相沢さんと司さんの出会いは1969年1月…
ひょんなことがきっかけでした。
司さんは当時、フランス語を習っており、その教師にお礼をしようとレストランでパーティーを開くことにしたのです。
教師夫人はフランス人…
その際に司さんは寂しい思いをさせないように、向こうの事情に通じている長姉の夫に助っ人を頼んだのです。
すると義兄はパーティーを盛り上げるために、仲間3人を呼びました。
その中に義兄と一高、東大の同窓で親友だった相澤さんがいたのです。
その1週間後、司さんに電話がかかっきます。
話の内容は「義兄と赤坂で飲んでいるので、今から自宅に遊びに行ってもいいか?」というものでした。
「強引な人だな…」と思いながらも屈託のなさがむしろ心地よかったそうです。
また、6歳で父を亡くした司さんは、相澤さんに父性を感じていたのです。
一方、相澤さんも司さんを一目見た時からその美貌に魅せられていました。
5回ほどデートを重ね、「この年じゃ面と向かっては照れくさいから」と電話で結婚を申し込んだのです。
司さんは迷っていました…
一緒になりたいという思いはあったものの、いきなり15歳の少年の母親になる自信はなかったからです。
結婚へと気持ちが傾いたのは、相澤さんと長男の3人でゴルフをした時でした。
長男が相澤さんに「結婚式にはいい洋服を作ってよ」とねだっているのを聞いて心のモヤが一気に晴れたのです。
7月3日、司さんは相澤さんに電話をかけ、結婚のOKを伝えます。
なぜ、この日だったかといえば、翌日が相澤さんの50回目の誕生日であり、それまでに結論を出さなければ失礼だと考えていたからです。
7月4日、相澤さんは長男、司さんは長姉夫婦と次姉夫婦を伴い、都内のホテルで正式に婚約しました。
その後、会見に臨んだ司さんは「生まれて初めて結婚したいと思う男性と巡り合った」とのろけたのです。
結婚から7年後、相澤さんは政界に進出…
それも衆院選に司さんの出身地の鳥取県から出馬しました。
そして司さんの縁戚にあたる山陰の山林王・田部家の全面支援を受け当選を果たします。
1971年3月には相澤さんと司さんは三男・宏光さんをもうけます。
司さんは本当は女の子が欲しかったといいますが、その宏光さんは2008年7月に元Winkの相田翔子さんと結婚…
2012年1月には司さんに孫が誕生し、待望の女の子でした。
司さんは1999年に日本大正村の村長に就任…
2003年には紫綬褒章を受章しています。
また、2009年に相澤さんが学長を務める東京福祉大学の特任教授に就任し、2010年秋には旭日小綬章を受章しました。
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