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森高千里の「顎関節症」との戦いの日々




 

1986年に行われた「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞…
ミニのコスプレで観客を魅了するビジュアル路線で大ブレイクし、従来のアイドルとは一線を画す世界観を誕生させた「森高千里」さん。

「森高ワールド」を爆発させ、コンサートの女王とも呼ばれました。
しかし彼女は25歳の誕生日を前に、顎関節症で1年間のコンサート活動中止に追い込まれる騒ぎとなったことがあるのです。

名前:森高千里(もりたかちさと)
本名:江口千里(えぐちちさと)
生年月日:1969年4月11日(50歳)
職業:アイドル、歌手、シンガーソングライター、タレント
所属:アップフロントクリエイト(2013年10月〜)
レーベル:Zetima(1998年〜)
出生地:大阪府茨木市
出身:熊本県熊本市(現在の西区)
学歴:堀越高等学校卒業



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森高さんがあごの異常を訴えたのは、「私がオバさんになっても」がヒットしていた1992年7月ごろ…
その後も活動を続け、「渡良瀬橋」、「私の夏」とヒット曲を連発しましたが、その一方であごの症状は改善しませんでした。

1994年4月1日、病気を公表して休養する方がファンにも納得してもらえると考え、「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)の番組内で「ずっと歌っているとあごがおかしくなって口が開かなくなるんです。」とコンサートの活動休止を報告したのです。

担当医は「強度のあごの運動障害と関節部痛が認められる。身体的な負担が大きくなれば症状は悪化するおそれがある」とコメント…
痛めたのは右の顎関節でした。

日常生活での会話や、テレビ番組で1~2曲歌う程度であれば問題なかったのですが、2時間歌いっぱなしのコンサートをこなすのは不可能…
この年の7月から予定していた40本のコンサートはすべてキャンセルされ、それによる興行収入減は約3億円とも報じられました。

そうして森高さんは、週に1度のペースで都内病院へのリハビリ通院を行う療養生活を始めたのです。

9月にはシングル「素敵な誕生日」をリリースしましたが、歌おうとして口を開くと彼女があごをおさえて痛がり、レコーディングも普段の倍の時間かかったと言います。

アクビもできず、食事もままならない森高さんは「このまま歌手をやめなきゃいけないのかな」と悩み苦しみました。

森高さんの顎関節症は原因がはっきりせず、いつ治るかもわからない…
女性誌のインタビューでは、周囲やファンが心配して「いつ治るの?」と聞かれることが余計につらかったのだと語っています。

一時期はかなり落ち込みましたが、自由な時間を利用して旅行に行ったり、ライブを見に行ったりしながら前向きに治療を続けました。

その後、徐々に復活し1995年3月に武道館で行われた阪神大震災チャリティーライブでは「フルに参加させていただきたかったのですが、あごの調子が完全ではないので1曲だけでも」と飛び入り参加…
プリンセス・プリンセスと共に「ダイヤモンド」を熱唱しました。

また、同年夏には神戸で開かれたチャリティーコンサートにも参加しましたが、共演した江口洋介さんとの親密交際がスタートするきっかけともなったのです。

ライブ活動の本格活動は休業から2年後の1996年4月の横浜アリーナ…

あごの痛みが再発したり、準備が本番当日ギリギリまでかかったりとトラブルもありましたが、常々「私はステージの上でこそ輝いていられる」という森高さんは3万人観客を前に最高のパフォーマンスを見せつけました。

その後、森高さんは結婚・出産を機に活動を一時休止しましたが、2012年にライブ活動の本格活動を再開し、2015年には音楽番組のMCを務めて注目を集めていました。

2017年5月25日で森高さんは歌手デビュー30周年を迎えます。




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