1940年にNHKアナウンサーの父「藤尾薫宏」さんと、イギリス国籍の母「オリビア・ヒース・ゴンザレス」さんのもと、当時の中華民国上海の日本租界で生まれた「ジェリー藤尾」さん。
そんなジェリー藤尾さんは過去に、泥沼の離婚劇を経験していたのです。
名前:ジェリー藤尾(ジェリーふじお)
本名:藤尾薫紀(ふじおしげき)
生年月日:1940年6月26日(78歳)
職業:歌手、俳優、タレント
所属:オフィスキコ
学歴:専修大学附属京王高等学校(中退)
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ジェリー藤尾さんは高校を中退し、ロカビリー歌手として1958年にデビュー…
その後、「遠くへ行きたい」がヒットしました。
私生活では1964年にアイドル歌手の渡辺友子さんと結婚し、2人の娘に恵まれ、一家4人でCMに出演するなどおしどり夫婦として知られていたのです。
しかし、この状況が一気に暗転する騒動が起こります。
理由は1985年秋、藤尾さん(当時45歳)と渡辺さん(当時40歳)の不仲がスクープされたからです。
この時点では渡辺さんが「どこからそんな話が?」とコメント…
藤尾さんも「別居なんかしていません」とウワサを否定しました。
しかし、12月になってウワサは現実のものとなるのです。
娘たちが友達を呼んでパーティーを行う予定のクリスマスに渡辺さんは家を出て行ってしまったのです。
年が明けて、別居が明らかになった際、藤尾さんは「僕は何も答えない。何も言いたくない」、「まったく雲をつかむような話で、僕にはどうして(妻が)そうしたかわかりません」と言葉をにごしました。
しかし、渡辺さんは「離婚を前提としての別居」とキッパリと発言…
暴力があったのではないかとの質問には「そういうこともありました」とも語ったのです。
そして半年後の1986年7月12日に2人は正式に離婚…
多くを語らない藤尾さんに対して、渡辺さんは藤尾さんが酒びたりであることや経済的な問題を抱えていること、渡辺さんの両親と藤尾さんの確執などをマスコミに訴えました。
このため、世間では渡辺さんに対して同情する空気が生まれ、藤尾さんは「飲んだくれ亭主」と書きたてられ、テレビ局から総スカンを食う状況にまで追い込まれたのです。
しかし、親権問題で2人の娘が共に藤尾さん側に付いたことで徐々に流れが変わっていきます。
次女は「このままではママばかり良い格好をしてパパが悪者にされて可哀想」と友達に告白…
「今度お姉ちゃんと一緒に記者会見に出て、すべてブチまけたい」とも訴えました。
次女は書類の親権者欄に藤尾さんの名前を書きました。
後に藤尾さんは娘の書いた書類を見て「涙が止まりませんでした」と語っています。
そうして藤尾さんは離婚から4カ月後に、次女が出演するドラマ「セーラー服反逆同盟」(日本テレビ系)に父娘共演を果たし、ショックから立ち直り、仕事に打ち込みました。
しかし、一時沈静化した泥仕合は4年後の1990年に財産分与トラブルを火種に再燃します。
渡辺さんは藤尾さんに2億円の慰謝料を請求していたのですが、これに対し、長女は「外面を取り繕うのが上手なだけにズルイ性格」と言い放ったのです。
「父は沈黙しても私は許せない」と実名を挙げて渡辺さんの男性問題を指摘…
離婚理由は母に非があると語りました。
財産分与問題は結局、東京・田園調布の自宅売却代金の35%を支払うことで決着しました。
その後の藤尾さんですが、娘たちが嫁いだ後、「面倒を見てもらう気はない」と千葉県の老人ホームに移り住みます…
元妻に対しては「名前を聞いただけで嫌になる」と今も許せない気持ちだと語っています。
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