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坂口良子と元夫・田山恒彦の馴れ初めと結婚から離婚




 

芸能人・坂口杏里さんの母親でもある「坂口良子」さんが芸能界入りしたのは、1971年のミス・セブンティーンコンテストで優勝した15歳のときでした。
フジテレビ系のドラマ「アイちゃんが行く!」でブレークし、引っ張りだこだった坂口さん。

水谷豊さんや石立鉄男さん、沖雅也さんらとの交際も報道されましたが、結婚相手に選んだのは18歳年上で、当時はゴルフ場経営や都市開発などを事業とする本州開発の常務・田山恒彦さんでした。

名前:坂口良子(さかぐちりょうこ)
生年月日:1955年10月23日~2013年3月27日(享年57歳)
職業:女優
所属:芸能事務所アージエス
出身:北海道余市郡余市町
学歴:堀越高等学校



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2人の出会いは1984年12月…
熱海温泉に出かけた坂口良子さんは知り合いだった本州開発の社長と会い、近くのカラオケスナックに入りました。
そこで紹介されたのが常務であった田山恒彦さんです。

年齢差が大きかったため、坂口さんは奥さんがいると思い込んだのですが、当時の田山さんは死別と離婚を経て当時は独身…
坂口さんは田山さんから、1年後のクリスマスに金子由香利ディナーショーに誘われました。
以後は結婚を意識するようになり、トントン拍子で交際が進んだのです。

1986年5月24日には婚約会見し、田山さんが50歳になる直前の11月7日にシンガポールでツアーを組んで式を挙げました。
そんな坂口さん(当時31歳)の新婚生活は、19歳の義理の娘と84歳の義父…
さらに坂口さんの母親も同居する大所帯で始まり、間もなく息子も生まれ、円満な家庭を築いていたのです。

しかし、バブル経済が結婚生活に影を落とすことになります。
田山さんの勤める本州開発は新宿ゴールデン街の地上げで知られていましたが、結婚翌年に税務調査で9億円の申告漏れが指摘されたのです。

事情聴取を受けた田山さんは退職…
独立してヤシマ産業という不動産会社を始めました。
当時の田山さんは不動産王や地上げの神様とも呼ばれ、坂口さんは「地上げ屋の女房」と書き立てられたのです。

1991年3月には娘の坂口杏里さんが生まれましたが、同時期にバブル崩壊…
1992年には田山さんが建てたばかりのビルが仮差し押さえされ、坂口さん自身も3億円の借金を負ったという報道が流れました。
その後も田山さんのヤシマ産業は経営が好転せず、1994年4月には倒産状態になったのです。

「こういう状態になっていることは主人から聞くまでは知りませんでした」と語った坂口さんは当初、「私個人の借金はありません」、「厳しい状態ですが夫婦が仲良くやっていこうと思います」とコメントしていました。
しかし、次々と驚愕の事実が明かるみに出るのです。

田山さんは坂口さんのマンションを担保に借金して転売し、実印を勝手に持ち出していました。
坂口さん名義の一戸建て住宅は担保に入れて差し押さえられてしまったのです。

田山さんは週刊誌のインタビューで「今の相場で25億円くらいの土地を持っていて、これを売却すれば借財の85%は返せる」、「離婚は絶対ない」と語っていましたが、坂口さんは不信感を募らせ、気持ちは離れてしまいました。
そうして1994年4月28日には離婚会見を開き、坂口さんは「慰謝料は請求しようと思いません」と語ったのです。

もっとも、慰謝料請求どころではありませんでした。
坂口さんは、田山さんに知らないうちに連帯保証人にされ、背負わされた借金はなんと40億円…
1999年に交際が発覚したプロゴルファーの尾崎健夫さんに支えられて必死に働き、約10年間で完済したのです。

しかし、幸せな生活は長くは続きませんでした。
坂口さんは不運にや大腸がんに見舞われたのです。

2013年8月、尾崎さんと正式に結婚したものの、その年になって体調が急速に悪化…
2013年3月27日に横行結腸癌および肺炎のため、57歳の若さで急逝しました。



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