「おときさん」の愛称で親しまれているシンガーソングライターの「加藤登紀子」さん。
東日本大震災では支援コンサートな行うなど精力的な活動を続けています。
そんな加藤さんの最愛の夫・藤本敏夫さんが亡くなったのは2002年7月でした。
名前:加藤登紀子(かとうときこ)
本名:藤本登紀子
生年月日:1943年12月27日(75歳)
職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優
所属:トキコ・プランニング
レーベル:ユニバーサルミュージック(1998年〜現在)
出身地:満州国ハルビン市
学歴:東京大学文学部西洋史学科卒業
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加藤さん(当時28歳)と藤本さんが結婚したのは1972年5月6日…
場所は今は公園となっている中野刑務所の中でした。
看守の立ち会いのもと、結婚の意思を確認し合い、同月末に婚姻届が提出されたのです。
2人が初めて出会ったのは1968年3月末…
同志社大の学生だった藤本さんは上京し、学生運動に身を投じていました。
そんな折、東大出身で学生たちに絶大な人気があった加藤さんにコンサートの出演を依頼…
それ自体は実現しなかったのですが、加藤さんは端正な顔をした藤本さんに一目惚れし、交際が始ったのです。
藤本さんは神田にカルチェラタンをつくり、解放区にしようとバリケードを築いたり、反帝全学連の初代委員長を務めるなど、いわば学生運動のスターでした。
同時に当局から狙われ、たびたび逮捕されていたのです。
そのたびに2人の交際は中断されましたが、愛は深まるばかり…
1968年11月、防衛庁への抗議行動で8ヶ月間拘置されました。
加藤さんの「ひとりで寝る時にゃよォー」で始まる「ひとり寝の子守唄」は拘置所生活を送る藤本さんを思い作った曲です。
歌詞の中に「天井のねずみが歌ってくれるだろう」という一節があり、これは藤本さんからの手紙に「拘置所のトイレの脇から毎日顔をのぞかせるねずみを見るのが一番の楽しみ」とあったのをヒントにしたのです。
内ゲバに嫌気が差して、すでに学生運動から離れていた藤本さんでしたが、1972年春、先の防衛庁への抗議行動などで3年8ヶ月の懲役刑が確定…
2人は「出所したら結婚しよう」と約束し合いました。
それがなぜ獄中結婚になったのか?…
藤本さんは1972年4月21日に収監されましたが、その3日前に妊娠がわかったのです。
加藤さんの気持ちの中に堕ろすという選択肢はなく、藤本さんも分身を残してくれたことをとても喜んでいました。
ただ、子どものためにも籍だけは入れておこうということになり、獄中婚となったのです。
同年12月、加藤さんは長女を出産…
1974年9月、藤本さんが仮出所すると翌年12月次女、1980年4月には三女が誕生しました。
そんな順風満帆に見えた夫婦でしたが危機もありました。
藤本さんは身の進める有機農法の運動のため千葉の鴨川に移り住むことを提案するのですが、加藤さんは首を縦に振らず自分たちは東京に残ると主張したのです。
話し合いは中々まとまらず離婚寸前までいきましたが、結局、藤本さん一人だけが鴨川に行くことになったのです。
以降20年近く、半別居の状態が続きました。
再び一緒に暮らし始めたのは、藤本さんの肝臓にがんが見つかってから…
病状はかなり進行していました。
それから亡くなるまでの2年間、かつて塀の外と中で紡いだ濃密な関係が夫婦の間によみがえったのです。
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