実は大の愛犬家でもある歌手の「槇原敬之」さん。
1991年に発表した「どんなときも。」を筆頭に、ヒット曲を連発した槇原さんが覚醒剤取締法違反で逮捕されたのは1999年8月のことでした。
当時は芸能界を揺るがしたトップアーティストの逮捕劇でもあったのです。
ここではその当時の事件を振り返ってみたいと思います。
名前:槇原敬之(まきはらのりゆき)
生年月日:1969年5月18日(50歳)
職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家
所属:ワーズアンドミュージック
レーベル:Buppuレーベル
出身:大阪府高槻市
学歴:青山学院大学文学部第二部英米文学科(中退)
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1999年8月26日、朝9時を過ぎたころ、南青山にある槇原敬之さん(当時30歳)の自宅マンションを4人の捜査員が訪ねました。
オートロックのインターホンで呼び出された槇原さんは素直に捜査員を自宅に入れ、捜査員はソファーのカバーに隠されたペンケースを発見します。
中には覚醒剤約1グラムが…
槇原さんは「すみません」と容疑を認めて、覚醒剤取締法違反で逮捕されました。
この段階では事件は伏せられていましたが、4日後に逮捕が明るみになり、所属事務所は素早く対応して9月から予定されていたツアーの中止と無期限の活動停止を発表したのです。
槇原さんは事務所を通じて「ごめんなさい。何よりも今まで応援してきてくれて、コンサートツアーを楽しみにしていてくれたファンの皆さんに…。もう本当にどのような処分も受ける覚悟です」とコメントしました。
この事件では部屋にいた元フリーアルバイターの23歳の男性も同時に逮捕されています。
槇原さんはこの男性と2万円ずつお金を出し合い、新宿の売人から覚醒剤を購入したといいます。
さらに、この男性が以前、新宿2丁目のニューハーフクラブに勤めていたことも報じられ、槇原さんの私生活も知られるところとなりました。
中でも一連の騒動に頭を抱えたのはレコード会社です。
すぐに店頭からのCD回収を発表しました。
薬物による逮捕で活動停止や新曲の発売中止を行う例は多いのですが、CDの全品回収は異例ともいえる厳しい措置でした。
ファンからは「厳し過ぎる」、「やり過ぎ」という声が相次いだほどです。
しかし、回収騒ぎで逆に槇原さんのCDセールスに火がつくといった事態も起こり、結局何が幸いするかわかりませんでした。
報道に慌てたファンが回収前の店頭CDを買いあさったため、槇原さんのCDは過去の作品を含む7枚が100位以内にチャートインしたのです。
逮捕されたアーティストのCDの売り上げが2億円超という珍現象になりました。
裁判で槇原さんは起訴事実を認め、
捕まった瞬間から震えが出てきた。覚醒剤の恐ろしさはすごく実感しています。逮捕された時は「これでやり直せる」と思いました。
と語ったのです。
1999年12月8日には懲役1年6月、執行猶予3年の判決が下り、この事件のツケは大きいものだとはっきりしました。
コンサートツアー中止、CD回収などの損害は20億円とも噂されたのです。
1年間の謹慎生活を送った槇原さんは2000年11月、アルバム「太陽」を発売。
本格的に活動を再開しました。
2003年にはSMAPに楽曲提供した「世界に一つだけの花」がヒットして負債は完済。
後に、毎年巨額の印税収入が入っていることもわかりました。
その後の槇原さんですが過去の逮捕歴を伏せる芸能人が多い中、テレビなどで体験を語ることも多いようです。
また同性愛についても認める発言をしており、一緒に逮捕された男性は自らの所属事務所社長に迎え入れています。
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