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渡辺謙…白血病の闘病・克服までの道のりを振り返る

多く俳優がいる中、ハリウッドで活躍する日本人俳優の筆頭と言えば、やはり「渡辺謙」さんでしょう。
1990年1月11日、当時30歳の渡辺さんが5ヶ月ぶりに公の場に姿を現しました。

渡辺さんは青白い顔は痩せて目がギョロっとし、剃り落としてツルツルになった頭を帽子で隠して登場したのです。
急性骨髄性白血病の病状会見でした。

名前:渡辺謙(わたなべけん)
生年月日:1959年10月21日(59歳)
職業:俳優
所属:ケイダッシュ
出身:新潟県北魚沼郡広神村(魚沼市旧広神村)
学歴:新潟県立小出高等学校



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1989年に撮影中に急性骨髄性白血病を発症して降板した渡辺謙さん。
一時は再起はおろか、生命も危ぶまれました。

しかし、その約1年には闘病を乗り越え、俳優に復帰しています。
1990年1月11日のこの会見は、渡辺さんの白血球数が普通の人と同じ状態にまで回復し、一時的に退院が許されたことで開かれました。

渡辺さんは自殺まで考えた辛く長い闘病を振り返り、「この病気と一生付き合っていくことになると思う」と決意を語りました。
この時はまだ完治にはほど遠く、翌2月に再入院しています。
5度目の投薬治療を行って、年内に2~3回の入院・投薬治療というハードスケジュールが待ち構えていました。

渡辺さんが病気を発症したのは1989年8月のこと。
初主演となる映画「天と地と」のロケ先、カナダ・カルガリーでのことでした。

ものもらいを治療した際の血液検査で白血球の異常が発見され、急性骨髄性白血病と診断されたのです。
この時、医師からは「このまま仕事を続けるなら、保証できる命1ヵ月」と宣告されました。

映画を降板して渡辺さんは帰国。
8月19日に都内の病院で再検査をしてすぐに入院となりました。

それからは大騒ぎ。
自宅、病院にマスコミが大挙押しかけます。

そのため渡辺さんのいる準無菌室は報道陣の侵入を防止するため、外から鍵がかけられました。
渡辺さんは5ヶ月余の闘病生活中に医学書を何十冊も読み漁り、役者復帰の日を待ち続けたと言います。

渡辺さんは1987年NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で主役の伊達政宗に抜擢され、大河ドラマ史上最高の平均視聴率39.7パーセントを叩き出していたのです。
この成功で製作費50億円の大作映画「天と地と」で主演が決まった直後に突然、大病に襲われたのでした。

待ちに待った仕事復帰は1990年10月放送のTBS東芝日曜劇場「息子のご帰還」。
2009月の制作発表会見にはカツラをかぶって出席し、その後も1ヵ月ごとに仕事と入院を繰り返しました。
そして現場に復帰して4年、もう大丈夫と一息ついた時にまたも再発します。

1994年8月11日、この時の再発会見で渡辺さんは「これは絶望の始まりではない。新しい展開の始まり」と再び決意を語りました。
目が潤んでいたのは、前日に主演予定の連ドラの降板を決めたショックもあったのです。
この時の渡辺さんは2人の子供との別れが辛くなると、帰宅せずに記者会見場からそのまま入院しました。

病院では5年前と同じ準無菌室での面会謝絶状態が続きました。
しかも、輸血の際にC型肝炎ウイルスに感染したため、治療は前回よりも困難を極めたのです。

それでも1995年5月24日に再び復帰会見が行われました。
6月10日には2時間ドラマ「鍵師3」の収録に参加。
撮影は病み上がりの渡辺さんのために、2日やって1日休みにするなど疲労を軽減し、体調に配慮されました。

壮絶、過酷な闘病生活を支えた糟糠(そうこう)の妻、由美子夫人とは2005年に離婚。
同年、南果歩さんと再婚するも2018年5月17日に離婚を発表しています。

また、2016年2月に早期の胃がん手術を受けたこと発表しました。

最近では映画「追憶の森 The Sea of Trees」(2016年・東宝東和)や、テレビドラマ「しあわせの記憶」(2017年MBS・TBS)、海外映画では「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(2019年)に出演しています。




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