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都はるみ…交際13年の末の結婚と離婚

1964年の「困るのことヨ」で、デビュー…
ヒットを連発し、大物演歌歌手として確固たる地位を築いてきた「都はるみ」さん。

彼女が当時29歳のときに、グアムで結婚式を挙げたのは、1978年2月3日…
お相手は元歌手の朝月広臣さん(当時34歳)でした。
3年の交際を経てのゴールインだったのです。

名前:都はるみ(みやこはるみ)
本名:北村春美(きたむらはるみ)
生年月日:1948年2月22日(71歳)
職業:演歌歌手
所属:サンミュージック
出身地:京都府京都市
学歴:洛陽女子高等学校(中退)



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2人が出会ったのは1964年。
3月に都さんが「困るのことヨ」でデピューし、半年後、同じレコード会社からデビューを果たしたのが朝月さんでした。

朝月さんは都さんの興行に同行し、前歌を担当することになり、朝月さんを”お兄ちゃん”と慕ううち、都さんの中に恋心が芽生え、20歳になる頃には結婚相手として意識するようになっていました。

都さんが母親の松代さんに「結婚したい」と言い出したのは22歳の時…

当時、都さんを手塩にかけて育ててきたステージママの松代さんは猛反対しました。
「なぜ娘の幸せを壊そうとするの。反対するなら、歌手をやめる」と叫ぶ都さんの頰を松代さんが平手打ちしたのです。

ドル箱の結婚はレコード会社にとってもマイナス…
朝月さんは都さんの前座を外され、まもなく芸能界を去ることになりました。

その後、朝月さんは写真専門学校に進み、写植の会社を立ち上げます。

歌の世界では離れ離れになった2人でしたが、交際は続いていました。

再び都さんが母の前で結婚を口にしたのは前回から5年が経過した頃…
今度は松代さんも反対せず、1977年9月に婚約会見を行ったのです。

実はそれより1年以上も前に発表する予定だったのですが、「北の宿から」が大ヒットして1976年の音楽賞を総ナメ…
「お世話になった人たちに恩返しをしなさい」と母親から説得され、結婚が延びたのです。

婚約会見で発表された結婚式の日取りは1978年6月14日…
なぜそれが4カ月も早まったのかと言うと…

久しぶりの休みがとれた都さんは朝月さん、朝月さんの友人夫婦、妹2人とグアム旅行に出かけたのです。
そこで現地の教会で行われていた結婚式に飛び入り参加した際、牧師から”あなたたちもやってみたら”と言われ、その気になってしまったのです。

2人はウエディングドレスとタキシードを借りて、急きょ結婚式を執り行ったのですがが、単に気持ちが高ぶった…
というだけが理由ではありませんでした。
「20代のうちに結婚したい!」と言い続けてきた都さんは30歳の誕生日を迎える2月22日の前にどうしても式を挙げたかったのです。

こうして13年間の愛を成就させた2人でしたが、破局は意外に早く訪れました。
わずか4年後の1982年2月、都さんは離婚会見に臨むことになったのです。

原因は前年秋、朝月さんが写植会社を畳んで銀座でオートクチュールの店を開いたことでした。
都さんが「私ついていけない」と反対すると、朝月さんは「いいよ、ついて来なくて。女にはわからない」と答えたといいます。

都さんにおんぶにだっこだった朝月さんとしては大黒柱らしいところを見せたかったのです…
恋をしている間はよかったのですが、一緒に生活を始めてみると考え方も稼ぎもあまりにギャップが大きかったのです。




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