桜田淳子さん、山崎浩子さんらが入信し、合同結婚式の参加が報じられ、騒ぎとなった統一教会…
1992年にはバラエティーのキャスターなどで人気の「飯星景子」さんも入信して話題になりました。
しかし、飯星さんの入信に対して父親で作家の飯干晃一氏は統一教会に対し宣戦布告…
1992年10月、娘の奪回に向け、記者会見で教会側を激しく非難し、真っ向から戦いを挑んだのです。
名前:飯星景子(いいぼしけいこ)
本名:飯干恵子(いいぼしけいこ)
生年月日:1963年2月23日(55歳)
職業:タレント、作家
出身:大阪府高槻市
学歴:桐朋学園大学短期大学部(現桐朋学園芸術短期大学)芸術科演劇専攻
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飯星景子さんに変化が訪れたのは1991年夏頃でした。
髪を切り、酒とたばこをやめ、さらには「作家活動に専念したいから」とキャスターを降板したのです。
所属事務所との契約も打ち切りました。
1992年春には統一教会の行事に参加するようになり、“祝福講義”の受講も始めました。
そして、桜田さん、山崎さんらの合同結婚式騒動が報じらた1992年夏に行方不明となったのです。
「飯星さんは8月に行われた合同結婚式に参加する予定だったが、今年入信したばかりなので見送られた。しかし、翌年以降に参加する予定でその目玉では?」というウワサも流れました。
心配した父親の飯干晃一氏が娘の行方を探していたところ、9月25日に「今、ニューヨークに着いたところです……今、日本で大騒ぎになっていることは知っています。迷惑をかけて本当に申し訳ありません」と、飯星さんからのファクスが届いたのです
10月1日、記者会見が開かれました。
「仁義なき戦い」などドキュメンタリータッチの小説を書き、作家として反社会勢力と戦ってきた飯干氏は、「あの集団は許せない。景子が戻ってきても戦いは続ける」と宣戦布告しました。
一方、娘に対しては「きっと“心の飢え”があって引き込まれたに違いない。それに気付かなかったのが残念」、「娘のためにドアは開かれている」と思いやりを見せました。
この宣戦布告は効果があったのです。
飯干氏出演のテレビ番組について報告を受けた飯星さんは事の重大さに気付き、10月4日に急きょ帰国しました。
そこから脱会に向けての父親の説得が始まります。
統一教会の文献を読破していた飯干氏は、まず丸1日かけて“原理講論”の検証を行うことから始めました。
丸4日、60時間に及ぶ議論の末、飯星さんは次第に教義について疑問を持つようになります。
途中、疲労困憊した飯星さんが吐いてダウンする場面もありましたが、互いに歩み寄る形で説得は続き、その後、元・信者も交えて2週間の話し合いを行った末、飯星さんは脱会を宣言したのです。
会見で飯星さんは「本当に軽率でした。父との長い話し合いの中で、私の想像だにしなかった真実を知りました」と語り、桜田さんら合同結婚式参加者にも、「薄々感じているとは思いますが、真実を見つめ直して欲しい」と脱会を呼びかけたのです。
統一教会側は「説得工作は信教の自由に対する侵害である」と反論しましたが、飯干氏は「教会特有の論理のすり替え」と一蹴しました。
飯干氏は1996年3月に心筋梗塞で亡くなりました。
飯星さんは芸能活動に復帰…
コメンテーターなどをこなして活躍しています。
2012年2月には、オセロの中島知子さんに脱洗脳をアドバイスして話題になりました。
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