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真屋順子…見栄晴との不仲説(確執)が生まれた意外な理由とは?

2017年12月28日に全身衰弱のために亡くなった「真屋順子」さん…

また、その真屋さんと共演していた「見栄晴」さんとの間に、不仲説(確執)があるという話が出たのは2015年のことでした。

名前:真屋順子(まやじゅんこ)
本名:髙津詔子
生年月日:1942年1月8日~2017年12月28日(享年75歳)
職業:女優
出身:大分県日田市
出生地:朝鮮釜山府
学歴:大分県立日田高等学校(中退)




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1976年から放送された「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日系列局)にお母さん役でレギュラー出演した真屋さん。
その後、1982年に大人になった長男として登場したのが、見栄晴さんだったのです。
当時、真屋さんは40歳、見栄晴さんは16歳でした。

まさに親子ほど年の離れた二人でしたが、なぜ不仲説(確執)があるとされたのか?…
その理由は、2015年2月20日に放送された「爆報!THEフライデー」(TBSテレビ)で明かされました。

この番組に出演した真屋さんは「芸能界に許せない人物がいる」として、見栄晴さんの名前を挙げたのです。
理由は、本当の息子のように可愛がっていた見栄晴さんが、結婚・出産(2007年4月3日に入籍、9月25日に長女が誕生)の報告を一切しなかったことを不義理に感じていたためでした。

そのため真屋さんは、それ以前の取材でも見栄晴さんを完全に拒否…
見栄晴さんに会いたくないとまで語っていました。
息子のように思っていた見栄晴さんが、可愛さ余って憎さ百倍となったのでしょう。

2015年の同番組には、サプライズゲストとして当の本人である見栄晴さんも出演していました。
そこで見栄晴さんが素直に「ごめんなさい」と謝ったことで、真屋さんも矛(ほこ)をおさめくれたのです。

実は見栄晴さんは、真屋さんが怒っているとはこの時まで知りませんでした。
2007年当時、確かに結婚・出産と立て続けに喜ばしい出来事が起きていた見栄晴さんでしたが、同時期に母親の介護で手一杯だったのです。

見栄晴さんは8歳の時に父親を亡くし、母親に女手一つで育ててもらいました。
また子役時代に稼いだ大金を宴席やギャンブルなどで使い果たし、さらに消費者金融から1000万円もの借金を重ねた際にも、700万円を肩代わりしてくれたのです。

そんな母親が同時期に指定難病に認定されている前頭葉萎縮現象を患い、脚も骨折するなど病状が悪化…
病気の影響で、自宅に物をため込むようになり、あっという間に自宅がゴミ屋敷になってしまいました。
このゴミの処理は母親が亡くなる2017年まで解消されなかったのです。

このような経緯もあり、見栄晴さんは自身の結婚・出産の報告を真屋さんに報告できなかったそうです。
きちんと謝罪する見栄晴さんに対し、真屋さんも昔と変わっていない、いい子であると語っていました。
こうして二人の不仲説(確執)は解消されたのです。

真屋さんの訃報を聞いた見栄晴さんはこのように語っています。

舞台のこと、笑いのこと、デビューして分からず、悩んだり、落ち込んでいる僕に、いつも舞台の袖で「見栄晴、あなたは本番に強いから大丈夫よ!頑張って!」と励まし、優しくしていただいたことを忘れません

「欽どこ」が終わった後も、たまたま隣のスタジオでドラマの収録をしていたら「見栄晴が心配で、大丈夫か見に来ちゃった!」と笑顔で…本当は僕の方からごあいさつに行かないといけないのに、わざわざ来てくださって…

奇しくも、見栄晴さんの実の母親が亡くなった年に、母親役で自分を息子のように思ってくれていた真屋さんも亡くなりました。
ここにも何かの縁を感じて仕方がありません。




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