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やるならやらねば…死亡事故で番組打ち切り




 

バラエティーの名門枠といえばフジテレビ土曜20時台でしょう。
1990年代に放送されていたウッチャンナンチャンの「やるならやらねば!」で、突然の事故が起きたのは1993年6月24日深夜のことでした。




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被害者となったのは香港を中心にアジアで絶大な人気を誇った口ックバンド「ビヨンド(BEYOND)」のボーカル、黄家駒(30歳)さんでした。

ピヨンドは日本進出を目指して1991年に来日し、1992年日本デビュー…
その後、彼らの曲が「進め!電波少年」などの番組でテーマ曲に使われ、日本でも知名度が上がりつつあった時期のことです。

事故が起きたのは人気RPGを題材とした目玉コーナー「やるやらクエスト」…
当日は高さ3メートル舞台セットが水槽を囲むように造られ、上に宝物が吊るされていました。

収録はゲームの登場人物に扮した出演者12人がレギュラー組とゲスト組に分かれ、宝物を奪い合うという設定で始まったのです。
出演者は収録が進むにつれて次第にエキサイトし、ずぶ濡れになりながらも、水槽を囲む板張りの上で宝物を奪い合いました。

そして、濡れた板の上を滑る形で左側のベニヤ板の背景パネルに次々と衝突…
外側の補強台を押しのけるように、内村光良さん(当時28歳)と黄さんがセット下に転落したのです。

思わぬ事故にスタジオは騒然…
大急ぎで救急車が呼ばれ、2人は、すぐ近くの東京女子医大病院に搬送されました。
背中から落ちた内村さんは胸部打撲の軽傷でしたが、黄さんは急性硬膜下出血、脳挫傷で意識不明の重体となったのです。

コンピを組む南原清隆さん(当時28歳)は、翌26日に結婚式を控えていました。
延期も考えましたが、南原さんは品川のホテルで複雑な心境で式を挙げたのです。

その後、黄さんは意識不明のまま30日に亡くなってしまいます…
トップスターの突然の事故死に地元香港は大騒ぎとなりました。

7月5日には北角英皇道で葬儀が行われましたが、会場周辺には1万人の女性ファンが詰めかけたのです。
テレビでは特番が組まれ、死亡するまでの1週間、連続して1面をつぶして報道する新聞もありました。

香港のマスコミは、

日本のテレビ番組はずさんで、人間の命を大事にしていないようだ

と報道…

香港の俳優からは、

日本のテレビ局は視聴率を稼ぐため、芸能人に危ないことをやらせる

との発言も出たのです。

日本国内からも、

マットが敷いてなかったのはミス。へルメットをしていれば大事に至らなかった

との声が上がりました。

7月20日、フジテレビは番組の打ち切りを決定…

内村さん・南原さんの精神的ショックも大きかったのですが、ビヨンドのメンバーである黄さんの弟は、

もう悲しまないで欲しい。早く元気になって下さい

と気遣いを見せ、内村さんは事故から1週間後の7月2日に復帰しました。

打ち切りとなった「やるやら」ですが、2009年に名シーンを集めたDVDポックスが発売されました。
一方、黄さんを失ったビヨンドは日本撤退を余儀なくされ、しばらく3人でバンド活動を続けましたが、その後メンバーはソロでの活動を始めています。




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