「有楽町で逢いましょう」や「東京ナイト・クラブ」など昭和を代表するムード歌謡界の大歌手として知られる「フランク永井」さん。
そんなフランク永井さんに、思わぬ不幸が襲ったのは1985年のことでした。
名前:フランク永井(フランクながい)
本名:永井清人(ながいきよと)
生年月日:1932年3月18日~2008年10月27日(享年76歳)
職業:歌謡歌手
レーベル:ビクターエンタテインメント
出身:宮城県志田郡松山町
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1985年10月21日の深夜2時頃、フランク永井さん(当時53歳)の夫人は、2階の寝室から夫が出て行ったのに気づきます。
最初はトイレかと思っていましたが、彼はなかなか戻らない…
そのうち階段の方から物が落ちる大きな音が聞こえました。
これは尋常なことではないと、夫人は寝室を出て1階に下ります。
らせん階段を見ると、手すりにネクタイ4本が結びつけられ、フランク永井さんがぶら下がっていました。
最初は冗談かと思って、夫人はその場にあった椅子をあてがって立たせてみましたが、フランクさんはぐったりしたまま…
首吊りを図ったのでした。
重大な事態に気づいた夫人は、すぐネクタイを緩めフランク永井さんを下ろし、救急車を呼びます。
目黒消防署の救急隊が駆けつけましたが、瞳孔が開き、呼吸、脈も弱っていました。
救急隊員によって、人工呼吸を施されたフランク永井さんは、東京都文京区の大学病院に搬送されましたが、当初の担当医に「脳死に近く、よくなっても植物人間状態」との重篤な状態だと告げられます。
フランク永井さんは大歌手として順風満帆な人生を送っているように見えました。
自殺の理由については芸能マスコミも首をかしげましたが、およそ10日後に週刊誌のスクープによって驚愕の原因が続々と明らかになります。
元愛人と称するクラブホステスが「隠し子」の巨額な養育費を要求していたというのです。
フランク永井さんは元愛人に1030万円の養育費を支払い、さらに7000万円を要求されていました。
元愛人は「支払って認知しないと世間に全部ぶちまける」と要求したと言います。
10月31日に当時40歳の元愛人自身がワイドショーに出演し、1歳になる女児がフランク永井さんとの間の子であること、認知されず生活も苦境にあることを訴えました。
この元愛人はスレンダーな美熟女で元プロ野球選手とも結婚歴がある女性だったのです。
事態はフランク永井さんと元愛人の泥仕合の様相を呈して来ました。
ところが、この元愛人には次々と新事実が出てきます。
結婚詐欺で訴え出る人が現れたり、別のプロ野球選手と過去に同様な養育費騒ぎを起こしたことが判明しました。
騒動に決着がついたのは1987年4月。
医大の鑑定結果が出たのです。
結果は女児は99.996%の確率で、元愛人と前夫の元プロ野球選手の間の子で、ほぼフランク永井さんの子ではないことが確実になったのです。
フランク永井さんは一命を取り留めましたが、後遺症が残りました。
1988年ごろに自力で歩いたり、カラオケで歌ったりと「奇跡の回復」が報じられましたが、カムバックはありませんでした。
糟糠(そうこう)の妻と呼ばれた夫人も看病疲れと10億円と言われるフランク永井さんの財産管理を巡り、親族とトラブルになり、うつ病を発症。
1992年に離婚しています。
フランク永井さんは2008年10月27日、肺炎で姉と共に入所した高級老人ホームで76年の生涯を終えました。
本人と家族の生活を一変させた余りに悲惨な騒動だったのです。
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