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藤田朋子…ヘア写真集騒動と2分の記者会見の真相とは?!




 

1990年代はヘアヌード写真集が立て続けに出版された時代でもありました。
同時にトラブルになったケースも多く、「藤田朋子」さんの場合は、写真週刊誌に藤田さんと有名カメラマン・荒木経憔さんのツーショットが掲載されたのです。

また、藤田さんの初ヌード写真集「遠野小説」が本人が反対する中、発売されることになりました。

名前:藤田朋子(ふじたともこ)
本名:桑山朋子
生年月日:1965年8月3(53歳)
職業:女優
所属:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
出身:東京都世田谷区
学歴:私立玉川学園高等部・玉川大学文学部外国語学科英語学専攻



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1996年3月、当時30歳だった藤田朋子さんはNHK朝ドラマ「ノンちゃんの夢」で国民的ヒロインとなり、清純派女優として活躍していました。

そのため、この突然の発表にマスコミは騒然としたのです。
藤田さんの元には取材が殺到し、ワイドショーも連日報道合戦を繰り広げました。

ところが、話はここから奇妙な方向に展開し始めます。
取材に対し藤田さん側は「ヌードは撮影したが、出版はしないという約束」、「公表前にネガチェックをさせなかったのは契約違反だ」と主張し、契約破棄や写真集の出版中止を訴えました。

一方、出版元の風雅書房と、藤田さんから「裏切り者」と名指しされた出版プロデューサーの高須基仁さんは「ヌード撮影は本人も承諾しており、契約も交わしている」と藤田さんとは正反対の主張を展開したのです。

両者の言い分は平行線のまま、写真集発売の期日が近づきました。
もっとも、「撮影はしたが出すつもりはなかった」という藤田さんの発言は不可解に思われたのですが、ほどなく藤田さん側は東京地裁に出版差し止めの仮処分を申請し、本心であることがわかります。

結局、両者の対立は法廷闘争にまで持ち込まれ、東京地裁で開かれた審理、尋問に出廷した藤田さんは法廷で号泣しながら写真集の不当性を訴えました。

しかし、まさにこの当日、風雅書房側は写真集を予定より早く店頭に並べ、実質的に発売に踏み切ってしまうのです。

この翌日、東京地裁が出版差し止めの仮処分の決定を下し、写真集は発売即で発禁となったのですが、すでに書店に並んでいた初版5万部は瞬く間に完売しており、写真集は実質的に世の中に流通してしまいました。

怒りの収まらない藤田さん側は翌日の夜に緊急記者会見を開きます。
予定より15分ほど遅れて登場した藤田さんは、表情一つ変えずに手にした原稿を読み上げました。

その間、わずか2分。
直後に会見を切り上げてしまいます。

この質疑応答も一切なしという対応には詰め掛けた報道陣も騒然…
「こんなの会見じゃないよ!」といった怒号が飛び交い、興奮した報道陣が藤田さんをガードする事務所スタッフにつかみかかるなど、現場は大混乱となりました。

それまで「藤田さんは本当にダマされたのではないか?」、「ヘアヌードビジネスに利用されてかわいそうだ…」という同情的な論調もありました。
しかし、この会見で藤田さんが世間には「わがまま女優」と映ったことも否定できません。

両者の争いは、この2カ月後に藤田さん側に1000万円近い和解金が払われることでようやく収束しました。
当事者が口をつぐんでしまい、真相はヤブの中となってしまいましたが、女優・藤田朋子さんが最も注目を集めた時でもありました。




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