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薬師丸ひろ子…玉置浩二と離婚理由は何だったのか?




 

1980年代に角川映画の看板女優としてトップスターに上り詰め、現在も女優として活躍する「薬師丸ひろ子」さん。
私生活では1991年に「安全地帯」の玉置浩二さんとハワイで挙式し、大物カップルとして注目を集めました。

名前:薬師丸ひろ子(やくしまるひろこ)
本名:薬師丸博子(やくしまるひろこ)
生年月日:1964年6月9日(55歳)
職業:女優、歌手
出身:東京都港区北青山
学歴:玉川大学文学部英米文学科卒業



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この結婚は玉置さんにとっては再婚でした。
その7年後の1998年6月、誕生パーティーの席上で玉置さんとともに突然、離婚を発表します。
パーティーが一転して「離婚披露宴」となり、出席者たちは、ただただ呆然とするしかありませんでした。

パーティーが開かれたのは6月5日午後6時…
4日後に34歳の誕生日を迎える薬師丸さんを祝おうと親しい友人や、真田広之さん、森山良子さんら芸能や音楽関係者約100人都心のホテルに集まっていたのです。

玉置さんらが司会進行を務め、「ワ インレッドの心」、「セーラー服と機関銃」といったヒット曲や玉置さんが薬師丸さんのために作曲し、結婚のきっかけともなった「胸の振子」も披露されて、パーティーは盛り上がりました。

ところが、パーティーお開き寸前で、主役たちの衝撃の発言でなごやかだった場の空気は一瞬にして凍りついたのです。

玉置さんが、

今日で別れます。今まですごく楽しかった。長い間話し合って生き方を別々にすることにしました。心はすごく通い合ってますし、これからも通じ合うことでしょう

と発言しました。

薬師丸さんも、ほほ笑みながら、

そういうことです。届けはこれから出します

と語ったのです。

森山良子さんが「離婚するということ?」と問いかけると、玉置さんは「そういうことです。記者会見の前にお世話になった方々にお知らせすべきだと思って」と答えました。
この離婚宣言で会場は重苦しい雰囲気に包まれたのです。

参加者は当然ながら拍手するわけにもいかず、不可解な表情のまほ引き出物のCDとまんじゅうを手にし、会場を後にしました。
もっとも、薬師丸さんと玉置さんに以前から不仲説もささやかれてはいたのです。

挙式から1年半過ぎてようやく入籍しましたが、遅れた理由として、婿養子に入って欲しいと主張する薬師丸さん側と、玉置さんが対立したことが原因と臆測が流れました。

その後、玉置さんが6億円ともいわれる世田谷区内の新居で薬師丸さんの両親と同居始めて、”マスオさん”状態だったのも事実…
そのことへの抵抗なのか、玉置さんは住民票を郷里の北海道の実家に移したままでした。

1996年2月には「家出別居」が報道されます…
女性関係のウワサも週刊誌を賑わしました。

その年の年末には、玉置さんが体調不良で入院した際に、薬師丸さんが病状説明の会見を開きましたが、心配そうな薬師丸さんの表情も、夫婦仲をアピールすることが目的ではないか?といわれたほどだったのです。

結局、夫婦関係は修復されることはなく、1998年の”離婚披露宴”で終了…
仮面夫婦生活に終止符が打たれました。

その後、玉置さんは活動の拠点を軽井沢に移し、キーボード奏者の安藤さと子さんと再々婚しましたが、2007年に離婚…
2009年の石原真理さんとの婚姻届不受理騒動や、2010年の青田典子さんとの”5度目婚”が話題になりました。

一方の薬師丸さんは独り身のまま…
2013年のNHKドラマ「あまちゃん」の鈴木ひろ美役が人気となるなど活躍を続けています。

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