端正な顔立ちで女性に絶大な人気を誇っていた歌手で俳優の「中条きよし」さん。
そんな中条さん(当時31歳)に突如として、隠し子騒動が持ち上がったのは1977年7月中旬のことでした。
大阪出身の元女優Y(当時29歳)が、「中条の子を産んだ」とマスコミに訴え出たのです。
名前:中条きよし(なかじょうきよし)
本名:下村清(しもむらきよし)
生年月日:1946年3月4日(73歳)
職業:歌手、俳優
所属:エクセリング
出身:岐阜県岐阜市
学歴:岐阜東(1年次は岐東)高等学校商業科
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大阪出身の元女優Yによると、事情はこのようなものでした。
2人は共通の知人である女性タレントの紹介で交際が始まり、半同棲の末、妊娠…
中条さんは「堕ろしてくれ」と言ったのですが、すでに4カ月が過ぎ、Yは産むことを決意したと言います。
中条さんの意向で大阪に帰り、マンションに身を隠し、1975年11月に女の子を出産。
1976年3月以降、中条さんから毎月20万円の仕送りがあったのですが、同年12月いっぱいで打ち切られ、生活にも困るようになったと言うのです。
これを中条さん側は真っ向から否定。
1度だけ関係を持ったが、Yが「今日は大丈夫」と言ったから関係したとコメントしました。
仕送りについてもYが子供を抱え、仕事に出られないと泣きついて来たためと主張したのです。
同情から渡したのであり、自分の子だと認めたからではないとのことでした。
中条さんはYに「僕の子と言い張るなら血液検査をしてくれ」と要求しますが、なぜかYは拒否しています。
「他に付き合っていた男性もいないし、1回だけの関係ではなく、確実に中条さんの子であるから、そんな検査は必要ない」と突っぱねました。
結局、真相はやぶの中…
騒動勃発から1カ月が過ぎる頃には両者とも口をつぐんでしまったからです。
両者の間で何らかの妥協点を見い出したものと思われますが、内容が公表されることはありませんでした。
しばらくすると隠し子騒動は世間からすっかり忘れ去られてしまいます。
と言うのも、新たな話題が浮上したからです。
1978年3月、中条さんが3回目の結婚をしたからでした。
別の名前で歌手活動をしていた中条さんが「うそ」で再デビューしたのは1974年1月。
150万枚の大ヒットとなりましたが、当初は独身という触れ込みだったのです。
ところが、間もなく妻子持ちであることがバレ、2度目の相手のMは中条さんを支えていて糟糠(そうこう)の妻と言われました。
男の子をもうけたものの、1975年4月に離婚。
この時、中条さんは「35歳までは誰とも結婚しない」と語っていたのですが、その誓いは早くも破られることになったのです。
3度目の相手は歌手の高山ひろ子さん。
中条さんより5歳下で、実家は渋谷でビル経営を展開する会社オーナーでした。
レコードの売れ行きが落ち、金目当てだろうと揶揄された時もあったのですが、中条さんは結局、この高山さんとも別れてしまいます。
そうして1988年1月、高山さんと離婚すると翌年5月、4回目の結婚を果たしました。
相手は中条さんと同い年で元歌手の西夏絵さんです。
芸能界引退後、俳優と結婚したのですが離婚し、祇園の高級クラブでママを務めていたのです。
ここで中条さんの結婚もさすがにこれで打ち止め。
当代きってのモテ男にも年貢の納め時が来たのでした。
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