芸能ファミリーの代表格として親しまれる高嶋さん一家。
高嶋政伸さんと美元さんの泥沼離婚スキャンダルが持ち上がったり、高島忠夫さんがうつ病やパーキンソン病を公表したりするなど、トラブルが伝えられることもあります。
しかし、高嶋家を思い返すと、過去のあの事件を思い出さずにはいられません。
折に触れて取り上げられることもある悲しい事件が起きたのは1964年の8月のことでした。
名前:高島忠夫(たかしまただお)
本名:高嶋忠夫
生年月日:1930年7月27日~2019年6月26日(享年88歳)
職業:タレント、俳優、司会者
所属:東宝芸能
出身:兵庫県武庫郡(現・神戸市)
名前:寿美花代(すみはなよ)
本名:高嶋節子
生年月日:1932年2月6日(87歳)
職業:女優、タレント
所属:東宝芸能
出身:兵庫県西宮市
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若い世代の人は高嶋政伸さんが、高嶋家の次男と思っている人もいるかと思いますが、実は三男で、長男と思われている高嶋政宏さんは次男なのです。
2人の上には道夫ちゃんという長男がいましたが、生後5カ月で亡くなっているのです。
死因は殺人でした。
その事件は1964年8月24日未明に起きます。
階下が騒々しいので2階の寝室で休んでいた高島忠夫さん(当時34歳)と寿美花代さん(当時32歳)の夫婦が下りてみると、お手伝いのA子と看護師がうろたえていました。
道夫ちゃんが見当たらないというのです。
110番した後、寿美さんが浴室に行き、浴槽のフタを開けてみると、口から泡を吹いている道夫ちゃんが浮かんでいました。
その途端、悲鳴が家中に響き渡ります。
近くの病院に駆けこんだ時点では、かすかに脈があったのですが、道夫ちゃんが息を吹き返すことはありませんでした。
最初に疑われたのはA子でした。
死亡推定時刻に起きていたのが彼女だけだったからです。
A子は「怪しい男が逃げていくのを見た」と証言しましたが、不審な点が多く警察が追及すると、同日正午過ぎに「私が道夫ちゃんを殺しました」と自供したのです。
A子は当時17歳、新潟県の中学を卒業して上京し、化学工場に3カ月勤めた後、そこで知り合った寿美さんのファンに紹介され、お手伝いを募集していた高嶋家に住み込むようになりました。
最初は夫妻からとてもかわいがられていたA子でしたが、道夫ちゃんが生まれると状況が一変します。
赤ちゃんの世話のために看護師が雇い入れられ、看護師が自分より重用されるに従って、嫉妬心が芽生えていったのです。
決定的になったのは高嶋夫妻が近く南米に行くことになり、寿美さんが看護師に「お土産をいっぱい買ってくるから道夫をよろしくね」と話しているのを立ち聞きしたことでした。
「自分には何も言ってくれないのに」とひがんだA子は、「道夫ちゃんがいなくなれば看護師も必要がなくなり、夫妻からの愛情がまた自分に注がれる」と思い、犯行に及んだのです。
東京地裁でA子に下された判決は懲役3~5年の不定期刑でした。
栃木刑務所に送られ、3年後に出所しています。
刑務所の職業訓練で学んだ後は美容師の仕事に就き、A子はその後、1歳年下の男性と結婚しました。
一方、高嶋家では道夫ちゃんが亡くなって1年2カ月後に政宏さんが誕生。
さらに、その翌年には政伸さんが生まれました。
一家も周囲も事件について触れることは一切ないと言いますが、心中は察して余りある事件だったのです。
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