「坂本堤弁護士一家殺害事件」、「松本サリン事件」、「地下鉄サリン事件」など、多くの凶悪事件を起こしたオウム真理教…
また、教団に関わってしまったことで人生を狂わされた人も少なくありません。
元日劇ダンシングチームのトップスターであった「鹿島とも子」さんもその一人でした。
名前:鹿島とも子(かしまともこ)
生年月日:1950年8月23日(67歳)
職業:歌手、女優
出身:東京都立川市
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日劇ダンシングチーム退団後、タレントとして活動していた鹿島さんは1982年…
31歳の時にスノーモービル練習中に事故を起こし、胸椎損傷の重傷を負ってしまいます。
一時は再起不能とも宣告されたのですが、整体師の助けで6年後の1988年8月、奇跡のカムバックを果たしました。
しかし、リハビリを助けた整体師が36歳の若さで急死したことで、死後の世界について考えるようになった鹿島さん…
そんな折、頭の中で「本屋に行きなさい」という言葉がひらめいたといいます。
そこで手にした本が麻原彰晃氏の著書でした。
これがきっかけで1989年に鹿島さんはオウム真理教に入信するのです。
その後、急速にオウムにのめり込んでいった鹿島さん…
1993年に夫と離婚し、翌1994年7月には南青山のオウム東京総本部道場で出家会見を開きました。
「俗世間を捨て修行に励み、芸能界を引退します」と宣言…
2人の子供のうち9歳の長男を連れ、親子で出家しました。
オウムはタレント出身の鹿島さんを広告塔として利用し、魔の手は当時19歳の娘にも伸びたのです。
1994年11月、娘は鹿島さんに呼ばれる形で上九一色村に連れ去られました。
1週間後に友人たちの手で奪還されたものの、12月上旬に再びオウムの手に落ちるなど、その後も救出劇と拉致が繰り返されたのです。
また拉致の際、オウムは高圧電流や薬物を使用していたといいます。
娘は最終的に翌1995年2月、友人と父親の手によって南青山の道場から救い出され、警察に逃げ込みました。
その1カ月後の3月20日…
地下鉄サリン事件が発生します。
これをきっかけにオウムに対する強制捜査が開始されました。
娘は悩んだ末に告訴…
鹿島さんは娘に薬物を投与、拉致したとして逮捕監禁の疑いで5月2日に逮捕されたのです。
娘は「オウム真理教が母を変えてしまったのでしょう。早く目を覚ましてほしい」と語りました。
初公判は同年9月8日に開かれましたが、20枚の傍聴券の抽選に1000&人以上が並ぶ騒ぎになりました。
裁判ではマインドコントロールから抜けきれず「娘を守りたかっただけ」と主張する鹿島さんに対し、裁判長が「相手の気持ちを考えていかないと」とカウンセリングのように話しかける場面もあったのです。
徐々に洗脳は解け、法廷で再会した娘に「ごめんね」と謝罪…
娘も「処罰は求めません」と話しました。
1996年1月17日には懲役2年、執行猶予4年の判決が下ります。
鹿島さんは教団を脱会して懺悔録「オウムの“鬼母”と呼ばれて」を出版しました。
当初は人々に敬遠され、アパートや仕事探しも思うようにいきませんでしたが「償いたいという気持ちが強かった。あえて一番大変で、人の役に立つ仕事を探した」と、ホームヘルパー2級の資格を取り、高齢者介護の仕事を始め、社会復帰を進めたのです。
2002年には歌の仕事も再開し、「歌と介護で幸せを運びたい」とライブを中心に活動を続けましたが…
近年ではスノーモービル事故で脊椎を損傷した後遺症で、左膝が悪化し、歩行には杖が必要な状態となっています。
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