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松尾和子…転落死により息子と「再会」できず





あの力道山が経営していた赤坂のクラブ・リキの専属歌手として歌っていたときに、フランク永井さんにスカウトされ、1959年に24歳でデビューした「松尾和子」さん。

「東京ナイト・クラブ」、「誰よりも君を愛す」など次々とヒットを飛ばし、ムード歌謡の女王と称されましたが、1991年の一人息子の覚醒剤使用での逮捕をきっかけにマスコミからバッシングを受けることとなりました。
また、松尾さんは翌年、息子の服役中に自宅階段で転落事故を起こし、57歳の若さでこの世を去っているのです。

名前:松尾和子(まつおかずこ)
生年月日:1935年5月17日~1992年9月25日(享年57歳)
職業:歌手
出生地:東京市蒲田区(現・東京都大田区蒲田)




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1991年10月、覚醒剤使用で逮捕された貿易商が松尾さんの長男から覚醒剤を譲渡されたと自供…
それを受けて長男(当時28歳)が11月8日、指名手配され、松尾さんは10日に記者会見を開いたのです。

松尾さんは「居場所がわかりません。一日も早く出頭させようと思っています」と答えました。
罪を犯したことについては「過保護すぎた私の責任もあります。でも、息子は私の宝です」と心境を語ったのです。

マスコミは「子育てに失敗」と松尾さんの過保護ぶりを書きたてました。
中学1年の長男が友達とたばこを吸っているのを発見した松尾さんが「家だけで吸いなさい」と大きな灰皿を買ってきて子供部屋に置いたという話…
息子の部屋で見つけたヌード写真集を一緒に観賞したという話…
バイクをねだられた時に松尾さん自身が「暴走族ってどんなことやるんだろう。やっぱり一緒にやってみなきゃ」と暴走族の車に乗せてもらった…
などという噂が繰り返し週刊誌のページを飾ったのです。
また、定職を持たない長男に数十万から数百万円単位の小遣いを与えていたという報道も流れました。

松尾さんは「母親ってのはある程度子供のために、ハキダメになってやる覚悟が必要」と話していましたが、マスコミはそんな松尾さんの子育てが逆に長男をハキダメに追いやったと責めたのです。

指名手配から10日後の11月18日…
長男は丸の内署に出頭して逮捕され、1992年2月24日に懲役2年の実刑判決が下りました。
松尾さんは「悪いことをしたのはわかっていますが、大変厳しいです。(刑務所での)身の回りのことが心配です」と語ったのです。

そして服役中の1992年9月25日…
松尾さん自身の身に悲劇が起きました。

午前3時ごろ、自宅階段で大きな音がしたため、同居していた甥が様子を見に行くと、階段の下で倒れていたのです。
声をかけると松尾さんは「大丈夫」と答えたため、救急車は呼ばなかったと言います。
しかし、昼過ぎになってベッドで死亡している松尾さんが発見されたのです。

死因は硬膜下血腫による脳圧迫でした。
突然の死に自殺を疑う声も出たのです。

当時、松尾さんは長男が服役中なのに加えて、ブティック経営にも失敗し7億円とも8億円ともいわれた借金問題を抱えており、アルコールと睡眠薬に頼る日々だったのです。

本人も自殺未遂を起こすまでに追い込まれており、友人たちからは「クスリが彼女の命を縮めた」という声が相次いだのです。
また、訃報を聞かされた長男は刑務所内での焼香を許されました。

死後、遺族間でトラブルが起きました。
松尾さんの借金は生命保険と自宅の売却で相殺されましたが、服役中で何もできない間に残金を使い込まれたとして、出所後に長男が従兄を訴えたのです。
1997年9月、従兄には執行猶予付きの有罪判決が下されました。

また、刑務所から出所した長男は2011年に48歳で病死しています。




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