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菅原文太…転移性肝がんによる「肝不全」で亡くなる





代表作はでもある映画「仁義なき戦い」や「トラック野郎」シリーズなどで活躍した「菅原文太」さんが、81歳で亡くなったのは2014年11月28日のことでした。

死因は転移性肝がんによる肝不全…
菅原さんにはがんの病歴があったのです。

名前:菅原文太(すがわらぶんた)
生年月日:1933年8月16日~2014年11月28日(享年81歳)
職業:俳優、声優、ラジオパーソナリティ
出身:宮城県仙台市
学歴:早稲田大学第二法学部法学科(中退)




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菅原さんは2007年に、膀胱がんが発見されて内視鏡手術を受けましたが、すでにがんは筋層まで浸潤していました。
膀胱全摘を勧められ、一時は手術の日程まで決まっていたのですが、「立ちションできないようじゃ菅原文太じゃねえ」と膀胱温存を決意し、抗がん剤と放射線治療を行ったのです。

また、がん治療を経験した菅原さんが「子どもたちに毒を食べさせるわけにはいかない」と取り組んだのが有機農業でした。
2008年秋に甲府市で開かれた講演会で「勤めばかりしないで農業をやれよ」と発言したことに対し、山梨県知事から「では、うちでやってください」とジョークまじりで誘われたことがきっかけとなり、2009年10月から山梨県北杜市に農業生産法人を設立しています。

「今はスーパーへ行けば一年中どんな野菜 安く並んでいる。でも、そんな状況はおかしいんじゃないか」と警鐘を鳴らし、土壌の微生物を回復するところから畑づくりを始めました。

農業以外の仕事はラジオ番組「菅原文太 日本人の底力」(ニッポン放送)や雑誌のインタビューなどを受ける程度で、俳優業は半ば引退していたのです。

そんな折、2011年3月11日に起きた東日本大震災では、郷里の宮城県が壊滅的被害を受け、さらに福島県では原発事故が発生します。
その後、菅原さんは原発に反対する姿勢を貫くようになるのです。

首相官邸前で毎週金曜に行われていたデモについても「俺なんか気持ちの上では参加してるよ。みんなが静かに訴えている姿は素晴らしいね」と語りました。
一方で俳優業は「(震災で)仕事に就けず定住もできない人が今も多い中、ノンキに映画を撮っている気持ちになれなかった」と完全引退しています。

2012年12月、「今の日本は政治がダメなんで政治家に呼び掛けていく」と政治を側面から支援する団体「いのちの党」の結成に向けて呼びかけを行いました。

2014年11月1日、沖縄県知事選挙に立候補した翁長雄志氏の決起集会に駆けつけ、対立候補の仲井真知事に対し、「(辺野古を)勝手に他国に売り飛ばさないでくれ」、「弾はまだ残っとるがよ」とすごんで見せました。

しかし、この応援演説が公の場での最後の姿となったのです。
翁長候補の当選12日後、菅原さんは息を引き取りました。

2014年11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全により東京都内の病院で亡くなったのです。

2014年の晦日には群馬県の利根川河川敷には追悼のため、全国から500台ものデコトラが集結…
映画で実際に使用された「一番星号」も修復され、電飾を輝かせました。

一方、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが「『このままでは日本はダメになる』と焦燥感を持っていた。大事な時に惜しい人を亡くした」と語り、菅原さんの付き人を務めていた宇梶剛士さんも「菅原文太という人は、いつでも弱き者の味方でした」とコメントするなど、死を悼む声が寄せられたのです。

妻の文子さんは遺志を継いで山梨で農園暮らしを続ける他、辺野古の基地建設阻止を目的とした「辺野古基金」の共同代表に就任しています。
一周忌を迎えた2015年12月には菅原さんがラジオ番組で語った憂国の言葉が「日本人の底力」(宝島社)として書籍化されました。




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