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平尾昌晃…幼妻(小沢深雪)との結婚から離婚まで




 

布施明さんの「霧の摩周湖」や小柳ルミ子さん「瀬戸の花嫁」などに曲を提供し、売れっ子作曲家の「平尾昌晃」さん(当時40歳)が再婚を発表したのは1978年7月29日のことでした。

相手は元歌手の小沢深雪さん(当時19歳)…
高校1年の時、「平尾ミュージックスクール」の1期生になり、1975年2月、歌手デビューした平尾さんの秘蔵っ子です。
しかし、その後、歌手を辞め、日陰の身になっていました。

名前:平尾昌晃(ひらおまさあき)
出生名:平尾勇
生年月日:1937年12月24日~2017年7月21日(享年79歳)
職業:作曲家、歌手
出身:東京府東京市牛込(現:東京都新宿区)
学歴:慶應義塾高等学校(中退)




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平尾さんが現役女子大生のA子さんと最初の結婚をしたのは1972年7月…
男の子をもうけましたが、深雪さんがデビューして3カ月がたった1975年5月、A子さんは子どもを抱いて家を飛び出してしまいます。

その翌月に平尾さんにA子さんから内容証明が届きました。
不貞を理由に離婚と1億5000万円の慰謝料を要求してきたのです。

平尾さんは「不貞などはたらいていない」とし、すべての要求を突っぱねました。
するとA子さんは実力行使に出たのです。

1978年7月早朝、A子さんは週刊誌記者を連れて平尾さんの東京・渋谷のマンションに乗り込み、部屋にいた深雪さんを直撃…
玄関から顔を出た途端にカメラのフラッシュがたかれました。
この時、深雪は16歳だったのです。

朝から仕事があったため、母親と泊まっていただけだ

と、平尾さんは疑惑を否定…

ただ、清純派歌手で売り出していた深雪さんのダメージは大きく、2枚のレコードを出した後に芸能界から姿を消してしまったのです。
この件で実質的な引退を余儀なくされてしまいました。

一方、ドロ沼化していた平尾さんとA子さんの離婚問題は家裁に持ち込まれました。
1976年1月、離婚調停が成立し、慰謝料は1億5000万円から1600万円まで一気に下げられた代わりに、長男が成人に達するまで養育費を毎月15万円払うことで決着したのです。

ちなみに離婚原因は差し障りない、”性格の不一致”というものでした。

さて、その後、引退を余儀なくされた深雪さんの所在がまったくわからなくなり…
「平尾さんと別れたのではないか?」という臆測も飛び交いました。

けれそも水面下ではちゃんと交際が続いていたのです。
1978年に入る頃から、再び平尾さんと深雪さんが一緒にいるところが目撃されるようになりました。

そうして、平尾さんによる結婚報告が行われたのが7月…
深雪さんは妊娠8カ目でした。

当時、世間からは、別れたA子さんが16歳下で深雪は21歳下…
いわゆるデキ婚でしたが、10代の幼妻を懲りずにもらったのは「平尾さんがとりわけ若い子好きだからに違いない」と揶揄されました。

10月に男の子が生まれて、1981年3月には2人目の子ども(歌手の平尾勇気さん)を授かりましたが、幸せは続かなかったのです。
1980年代半ばに離婚…
平尾さんの仕事が忙しくなり、スレ違い生活が続いたせいでした。
その後、深雪さんはニューヨークに渡って再婚し、現地で日本料理店を開店しています。

前妻のA子さんもあまり幸せな生活には恵まれませんでした…

A子さんは1981年5月に、フジサンケイグループの鹿内信隆(しかない のぶたか)社長(当時)の長男である鹿内春雄さんと子連れ再婚しています。
フジサンケイグループの初代議長でもあった春雄さんは、前夫人と離婚が成立したばかりでした。

翌年6月には男の子が生まれましたが、その2カ月後にA子さんはくも膜下出血で急死…
まだ29歳という若さでした。




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