沖縄が本土に復帰した1972年の前年に、母親と上京…
その3カ月後に出したデビューシングル「17才」が54万枚の大ヒットとなり、「南沙織」さんは一躍トップアイドルに駆け上がりました。
名前:南沙織(みなみさおり)
本名:篠山明美(しのやまさおり)
生年月日:1954年7月2日(65歳)
職業:元アイドル歌手
所属: T&C ミュージック(現役時代)
レーベル:ソニー・ミュージックエンタテインメント
出身:沖縄県宜野湾市
学歴:上智大学卒業
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南さんの活動期間はわずか7年でした。
人気が萎えたわけでもないのに、1978年10月7日のサヨナラコンサートを最後に引退してしまったのです。
理由は「学業に専念するため」…
その年、南さんは上智天学に進学していました。
しかし、それだけではなかったのです。
写真家の「篠山紀信」さんと結婚を前提とした交際が始まっていたからでした。
後に篠山さんが語ったところによると、 付き合い出したのは南さんの引退後だといいます。
ただし、具体的な行動はとらなかったにしても、その前から2人がすでに相思相愛の関係にあったのは間違いないでしょう。
デビュー翌年から篠山さんは南さんのレコードのジャケット写真を撮るようになって、シングル20枚とアルバム25枚を手がけました。
会うたび2人の気持ちは接近していったのです。
その間、篠山さんはモデルだった前夫人とも離婚しています。
南さんが引退すると交際は一気に進み、サヨナラ公演の2週間後には欧州で落ち合っています。
この密会は女性誌にキャッチされました。
また、南さんは帰国するとすぐに篠山さんの自宅で同居を始めます…
そこから上智大にも通っていたのでした。
こうして水面下では結婚の準備が着々と進行…
そして1979年6月4日、2人は極秘のうちに式を挙げます。
篠山は38歳、南が24歳のときでした。
場所は東京・芝にあるレストラン内の教会…
この場所は新婦のたっての希望でした。
南はデビュー直後にこの教会で撮影をしており、「式を挙げるならここ」と決めていたのです。
当日、参列したのは2人の他に立会人夫婦、双方の家族、知人など総勢30人…
マスコミはおろか芸能関係者の姿もありませんでした。
それらに近い人は篠山さんが記念撮影を依頼したカメラマン仲間の沢渡朔(さわたりはじめ)さん一人だけだったのです。
それにしてもなぜ、事前に情報が漏れなかったのか?…
出席者に箝口令(かんこうれい)を敷いただけでなく、細部にまで慎重を期していました。
式場を予約したのはその2カ月前…
篠山さんの女性マネジャーと知人の男性の名前が使われ、本当の新郎新婦の名前は伏せられました。
レストラン側も篠山さんと南さんと知ったのは当日の朝だったといいます。
公にしなかったのは南さんが、シンシア(Cynthia 月の女神、蟹座の守護神の意)の洗礼名を持つ敬虔なカトリック信者で、結婚式を神聖なものと考えており、芸能マスコミに荒らされたくなかったからではないかと言われています。
ちなみに南さんは両親ともに日本人…
ただ、母親の再婚相手(義父)がフィリピン人であったことでハーフであると誤解されている人も多いかと思います。
さて、結婚式を行った翌年2月には長男が誕生…
逆算すると、式の当日にはすでに南のお腹には新しい命が宿っていたことになります。
妊娠2ヶ月目に入った頃でデキ婚でもあったのです…
また二男は俳優でタレントでもある篠山輝信さんになります。
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