愛称は「ヒロくん」…
芸能界に入る前は竹の子族のリーダーをしていたのが「沖田浩之」さんです。
俳優としてスカウトされ、ダンスで鍛えた肉体と端正な顔立ちを武器に、「3年B組金八先生」(TBS系列)などに出演して活躍していましたが、36歳の若さで首吊り自殺の末、亡くなっています。
1999年3月27日のことでした。
名前:沖田浩之(おきたひろゆき)
本名:置鮎広之(おきあいひろゆき)
生年月日:1963年1月7日~1999年3月27日(享年36歳)
職業:アイドル、俳優
出身:神奈川県川崎市
学歴:青山学院大学経済学部経済学科(中退)
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当時、2人の子供を連れて買い物から戻った妻が、自宅2階寝室の鴨居(かもい)に着物の帯をかけて自殺した沖田浩之さんを発見します。
119番通報で駆け付けた救命救急が、心臓マッサージを施しながら病院に搬送するも間もなく死亡が確認されました。
当日、午前中には沖田さんが犬の散歩をさせているところが目撃されており、前兆となるようなこともなかったといいます。
首吊りにもかかわらず沖田さんは横たわっており、遺体を見た3歳の娘が「お父さん、寝てるよ」と言ったという話もあったほどでした。
沖田さんは妻と幼い2人の子供を残してこの世を去りました…
では、なぜ死を選ばなければならなかったのでしょうか?
マスコミが真っ先に注目したのが借金問題でした。
沖田さんの父親は不動産やゴルフ会員権を扱う会社を経営しており、バブル崩壊で経営が行き詰まっていたのです。
父親の死後、会社は沖田さんの兄が引き継いだのですが、経営状態は改善せず、巨額の借金を返済する見込みが立っていませんでした。
沖田さんが兄の連帯保証人になっており、自殺翌日、葬儀の準備も整わない沖田さんの自宅に金融業者の取り立てとみられる風体の男たちが詰め掛けたという報道も出ました。
また、借金の整理のため、母親が自宅の売却を希望していたという不動産屋の話も紹介されたのです。
一方、これに対して、自殺の原因は借金ではないとする証言も次々と出ました。
会社を引き継いだ兄は、「借金を含めて遺産相続をしたのは私個人であって、浩之は関わっていない」とコメントしたのです。
沖田さんの所属する事務所代表の津川雅彦さんは、「プロダクションから補助する形で、稼ぎ以上を渡すということはあった」と発言…
けれども、日々の生活に困っていたという報道を否定しました。
さらに、亡くなる前日まで沖田さんに稽古をつけていた劇団座長も、以前から沖田さんが「売れなくなったらトラックの運転手をしてでも家族を食わせる」と語っていたことから、借金苦による自殺説を否定したのです。
また、芸の行き詰まりによる仕事の不安や、数年前に噂された20歳上の大女優との破局など、様々な臆測も乱れ飛びましたが、決定的な理由は見つからないままとなりました。
沖田さんの親族は週刊誌の取材に対して、「自殺の真相は本当に分かりません。誰にも分からないでしょう」と答えています。
アイドルの突然の自殺の原因は未だに謎に包まれているのです。
実は沖田さんの家系では、3代で4人の自殺者が出ています…
当初、病死と発表されていた沖田さんの父親は、後に首吊り自殺だったことが明らかになりました。
また、2002年4月20日には沖田さんの兄が自殺…
父親から引き継いだ借金を返せないまま自社ビルが差し押さえられ、川崎市のアパートでこちらも弟と同じく首を吊っていました。
さかのぼって沖田さんの祖父も自ら命を絶っているのです。
弁護士として関わった事件について、自らの正当性を表明するための覚悟の死だったといいます。
沖田さんの自殺の原因には、ひょっとするとこのような背景も関係していたのかもしれません。
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