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ポール牧はなぜ自殺したのか?その原因とは…





リズム良く指を鳴らす「指パッチン」の芸などでお茶の間に親しまれ続けた「ポール牧」さん…
彼が突然、飛び降り自殺したのは2005年4月のことでした。

晩年は出家して茨城県の寺の住職に納まっていただけに、この事件には誰もが驚いたのです。

名前:ポール牧(ポールまき)
本名:榛澤一道(はんざわ かずみち)
生年月日:1941年8月2日~2005年4月22日(享年63歳)
職業:コメディアン、タレント、俳優
出身:北海道天塩郡天塩町
学歴:北海道天塩高等学校




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2005年4月22日未明、東京は西新宿の街に「ドシン」という鈍い衝撃音が鳴り響きました。
付近を通りかかっていたタクシーの運転手は、歩道に血まみれで倒れている男性を発見します。

タクシー運転手は慌てて通報…
男性はすぐ救急車で病院に搬送されました。

足から落ちたようで顔はほぼ無傷でしたが、全身の打撲がひどく、2時間後に死亡が確認されたのです。
男性はこのマンションに住むポール牧さん(享年63歳)でした。

9階にある部屋の窓は開いたままで、手すりに乗り越えた跡がありました。
メールがすべて消去された携帯電話が残され、遺書もありませんでしたが、自殺と断定されたのです。

ポール牧さんは、かつての相方、関武志さんや三波伸介さん、東八郎さんなどが次々と物故する中、ほとんど最後の世代の浅草の軽演劇界の生き残り芸人でした。
キザな風貌やホラ話などの話芸で人気を博したのです。

しかし、その人生は波乱に富んだものでした。
1941年に北海道の寺の息子として生まれ、10歳で出家得度…
12歳の時から父に代わり、住職代理を務めるものの、17歳の時にコメディアンを目指して上京しています。

漫談家・牧野周一さんに弟子入りし、その後は榎本健一さん、はかま満緒さんに師事して1968年には関武志さんと「ラッキー7」を結成して、指パッチンをはじめとするキレのある芸を武器に売れっ子になりました。

人気絶頂の1979年、劇団「東京新喜劇」を結成して日劇や国際劇場で大々的に公演…
その活動は私財をつぎ込んでも足りず、結局は2000万円の借金を抱えてしまいます。

ポール牧さんは、それを苦に失踪と自殺未遂騒ぎを1983年に起こしました。
その後、しばらく低迷していたものの、1990年代に「指パッチン」で再ブレークします。

そんな再浮上の中、兄の死去をきっかけに再得度…
頭も丸め、僧侶として活動した「芸人僧侶」は、各地で年間二百数十回も講演会をこなすほどになったのです。

ところが、2000年、写真週刊誌に女性スキャンダルが報じられます。
知人のホステスをホテルの一室に連れ込み、手かざしの「ヒーリング」を行うなどと言いながら、全裸にしてセクハラしたというものでした。

ポールさんは会見を開いて「私の股間、いやコケンに関わること」と報道陣をケムに巻いたのですが、講演を中心に仕事は激減…
その頃かうつ病に苦しみ出します。

自殺直前はスポンサーも付き、生活に困窮する状態ではないとみられていました。
部屋には酒瓶が転がっていて、うつ病の薬とアルコールの同時併用で発作的に自殺したとの見方もされたのです。

しかし、当時問題視されて、後に摘発された投資詐欺会社に彼の知人がおり、そこに別の知人を紹介して600万円を投資させてしまい、それを苦にした自殺の報道もありました。
女性と金銭トラブルを抱えていましたが、原因は今も謎に包まれたままなのです。




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