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早乙女愛…元夫・江原春義(江原道を創業者)との馴れ初めから離婚まで





映画「愛と誠」(1974年)で、西城秀樹さんの相手役に選ばれ、役名を芸名にしてデビューした「早乙女愛」さん。
大物俳優との熱愛の噂が絶えず、「恋多き女」とも呼ばれましたが、1985年5月、26歳の時に5つの会社を経営する33歳の青年実業家、江原 春義氏(えばらはるよし)と電撃入籍しました。

名前:早乙女愛(さおとめあい)
本名:瀬戸口 さとみ(せとぐちさとみ)
生年月日:1958年12月29日~2010年7月20日(享年:51歳)
職業:女優
所属:アルファエージェンシー
出身:鹿児島県肝属郡高山町(現:肝付町)
学歴:鹿児島県立高山高等学校




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2人が知り合ったのは1980年…
早乙女さんのファンだという江原春義氏が映画スポンサーに名乗り出たことがキッカケでした。
当時の早乙女さんは、1日に400通ものファンレターが殺到するほどの人気だったのです。

江原氏とは映画の企画が実現しなかったことで一時は疎遠になりましたが、1983年に再会…
1984年暮れ頃からは江原氏が早乙女さんのマンションを頻繁に訪れるなど距離が接近していきました。

1985年4月22日、親密交際をマスコミにキャッチされ、事態は急展開…
翌23日、2人は記者会見を開いて「早ければ夏にでも結婚式を挙げだい」と嬉しそうに発表したのです。

しかし、江原氏は9年間連れ添っていた前妻と3月末に離婚したばかり…
2人は2年ほど別居状態でしたが、江原氏は正式離婚を切り出す際「仕事に生きたい。どうか別れて欲しい」と頼んでいました。

しかし、離婚成立から1カ月も経たないうちに前妻はテレピで婚約会見を目にすることに…
この時点では慰謝料の額も決まっておらず、子どもの親権や養育費の問題も片付いていなかったのです。

怒りを爆発させた前妻は「仕事に生きるというからキレイに別れてあげたのに」と週刊誌に涙の訴えました。
元夫との東京旅行から帰った子供が「愛ちゃんに会った」と話したエピソードを暴露し、会社関係の人だと思っていた「愛ちゃん」がまさか早乙女愛だったとは!と悔しさをにじませたのです。

慰謝料として江原氏が1億円用意しているというウワサが流れる一方で、元妻側の5000万円要求に難色を示している報道も流れ、早乙女さんは「略奪婚」と書きたてられました。

幸せの絶頂から一転して、トラブルに巻き込まれることになった早乙女さんだが、所属事務所は「その件は早乙女と関係のないことですから、何も言っことはありません」とコメント…
5月4日に極秘入籍した早乙女さんは江原氏と5日から2週間のアメリカ旅行に出発しました。

18日に帰国した早乙女さんは「ロスとニューヨークへ。ミュージカルも見てきました。すっごくゴキゲンな旅でしたよ」とニッコリ…
江原氏は「(離婚トラブルは)解決だ」とコメントしましたが、元妻に配慮したのか挙式は延期となったのです。

11月22日、入籍から半年遅れで結婚披露宴が行われ、早乙女さんは3.3カラットのダイヤの指輪を見せながら、「今までにない身の引き締まる思いがしました」と心境を語りました。
プロポーズの言葉が「朝、早起きして区役所に行こう」だったことも明かされたのです。

1997年に長男を出産、早乙女さんは仕事を徐々に減らし2000年に引退…
2002年に江原氏の仕事の関係で米国に移住しましたが、2008年に離婚しています。

その後、息子と2人で暮らしていましたが、2010年7月11日に体調不良で入院…
あっという間に容体が急変し、20日に多臓器不全でシアトルの病院で亡くなってしまいます。
51歳の若さでした。

一方の江原氏は2008年に日本に帰国し、若者たちと共に世界中のクリエイティブなニュースを届けるWEBメディア「greenz.jp」を設立…
2009年にはR水素社会の実現を促進するNPO「R水素ネットワーク」を設立し、NPO「R水素ネットワーク」代表理事を努めています。




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