1975年に「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズでデビューし、抜群の歌唱力で知られ、ポップス界をリードしてきたのが「岩崎宏美」さんです。
私生活では1988年に30歳で結婚し、2児をもうけましたが夫のドイツ赴任をきっかけに別居し、結婚生活は7年で破綻していますが…
この夫と離婚した理由とは何だったのでしょうか?
名前:岩崎宏美(いわさきひろみ)
生年月日:1958年11月12日(60歳)
職業:歌手
所属:スリー・ジー
レーベル:インペリアルレコード
出身:東京都江東区
学歴:堀越高等学校
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夫は三井財閥の大番頭といわれ、明治の日本経済を動かした益田孝氏の玄孫で、一流商社に勤めるエリートサラリーマン…
財界の御曹司との結婚は当時「玉の輿婚」と報道されました。
しかし、1988年は昭和天皇の病状悪化が報道されており、世間には自粛ムードが広がっていたため、岩崎さんは取材を逃れるように予定を4日繰り上げ12月13日、都内の教会で極秘挙式しました。
「昔から雪の降るクリスマスに結婚したい」と憧れていたと言い、12月に純白のウエディングドレスで式を挙げ、「私って世界一幸せな花嫁ね」と泣いたと言います。
岩崎さんは芸名を旦那の苗字である「益田宏美」に改め、翌年に長男(益田元気)、1992年には次男(益田勇気)が誕生しました。
幸せいっぱいと思われた生活ですが、1993年10月、夫がドイツのデュッセルドルフに赴任するころから雲行きが怪しくなります。
岩崎さんは夫の後を追って1994年2月に渡独するのですが、わずか10日で子供と共に帰国してしまいました。
このとき岩崎さんは「言葉の壁があるし、上の子が幼稚園へ上がる前の大事な時期に迷いながら暮らしたくない」とコメントしています。
けれども、マスコミの間では「夫の社内序列がそのまま持ち込まれた現地夫人たちの人間関係が、受け入れられなかった」、「休日でも行事に駆り出され、さらにパーティーの打ち上げでプロの岩崎に対し『1曲歌ってよ』と言った」という情報が伝わり、岩崎さんがドイツでの生活になじめなかったと報道がされたのです。
岩崎さんの旦那は通常3~5年といわれる海外勤務を1年5カ月で終え、1995年3月に帰国しました。
異例の短期勤務に当初「岩崎さんが夫を日本に帰して欲しいと直談判した」というウワサも流れました。
ところが、直後の3月13日に離婚届が提出されます。
離婚話を切り出したのは岩崎さんでした。
会見では「(夫は)想像していなかったからショックのようでした」、「(1994年2月に)子供を連れてドイツに行ったとき、そういう(離婚の)話をしました」、「仲は良かった…ケンカするほどしゃべっていなかった」などと語っています。
当初、親権は旦那、養育権は岩崎さんが得ました。
しかし、間もなく夫は再婚して、2人の息子は新しい母と養子縁組を結びます。
一時は裁判も考えた岩崎さんですが、最終的に2カ月に1度の面接交渉権を得て決着しました。
岩崎さんは後に雑誌のインタビューで夫のドイツ赴任後間もなく離婚を意識したと語っています。
旦那不在の家で音楽に浸る生活を続けているうち、歌いたい気持ちが高まって離婚の文字がちらつくようになったと言います。
岩崎さんはほぼ結論が出た状態で渡独…
離婚を切り出した10日間の独滞在は「メチャクチャだった」をとも語っています。
岩崎さんは離婚後、名前を岩崎宏美に戻し、歌手活動を本格再開…
2009年に10歳年下のミュージカル俳優、今拓哉(こんたくや)さんと再婚して話題になりました。
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