テレビドラマや映画など様々な分野で活躍している俳優・タレントの「石黒賢」さん。
そんな石黒賢さんの父親は、テニスプレーヤー「石黒修(いしぐろおさむ)」さんです。
実は石黒賢さんは父親の石黒修さんの意外なきっかけで、、1983年に俳優デビューを果たしていました。
名前:石黒賢(いしぐろけん)
生年月日:1966年1月31日(53歳)
職業:俳優、タレント、児童文学翻訳家
所属:ソニー・ミュージックアーティスツ
学歴:成城大学経済学部
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あまり知られていませんが、石黒賢さんの父親・石黒修さんと言えば、日本人初のプロテニスプレーヤーであり、全日本選手権6回(単復各3回)制覇やウィンブルドンにも出場しているテニス界のレジェンドなのです。
また、石黒修さんはデビスカップ日本代表監督や日本プロテニス協会を創設した人物としても知られており、錦織圭さんや大坂なおみさんなどよりもずっと以前に世界に挑戦していた日本人テニスプレーヤーでした。
そのため石黒賢さん自身も成城学園中学校時代から成城大学に至るまでテニス部に在籍しており、中学2年生の時には、都大会で秋篠宮親王(当時:礼宮樣)とも対戦したことのある本格派なのです。
ちなみにこの時は「もし、ぶつけでもしたら大変」と、とても緊張して試合にも負けてしまったそうですが、その際に「ナイスショットですね」と優しく声をかけられたことを今でも覚えていると言います。
そんな石黒賢さんが俳優としてデビューしたきっかけは、父親の石黒修さんが知り合いから「テニスのできる男の子を捜している」という話を聞いて「じゃあ、うちの子を」と推薦したからなのです。
こうして石黒賢さんは高校三年生の時に、「青が散る」でデビューすることになり、その後は大人気ドラマ「振り返れば奴がいる」(1993年)や「ショムニシリーズ」、映画も「ホワイトアウト」(2000年)や「LIMIT OF LOVE 海猿」(2006年)などに出演し、その独特の存在感を発揮していきました。
しかし、俳優になったからといってテニスから全く離れたというわけではなく、今でもテニスはプレーしているという石黒賢さん。
「父がプロテニスプレーヤーだったこともあり、私自身、テニス選手を目指していた時期もあった」と語る石黒賢さんは、テニスに関する知識や解説には定評があり、仕事としてもテニス専門誌にコラムを書くなどテニス熱は冷めてはいません。
また、2008年からはWOWOW「ウィンブルドンテニス」のスペシャルナビゲーターを務めるなど、活動の場を広げていました。
ただ、父親の石黒修は2016年11月9日に腎盂がんのため80歳でこの世を去っています。
葬儀・ミサや告別式は東京都渋谷区南平台町にある聖ドミニコ・カトリック渋谷教会で行われ、喪主は長男で石黒賢さんの兄の実(みのる)さんが務めました。
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