元プロ野球選手・監督で野球解説者でもある「大島康徳」さん。
プライベートでは5000万円を超える自宅を建て、1994年に引っ越していますが、この新居が欠陥住宅であることを告白しています。
では、そんな欠陥住宅とされる大島さんの自宅はどのような状況だったのでしょうか。
また、大島さんの自宅はどこのハウスメーカー・建設会社が建築してものだったのでしょうか。
名前:大島康徳(おおしまやすのり)
生年月日:1950年10月16日(68歳)
職業:元プロ野球選手・監督、野球解説者
出身:大分県中津市
学歴:大分県立中津工業高等学校
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大島康徳さんの新居建設は1993年に、親戚と一緒にハウスメーカーHの先代社長に面談し、「安心して任せてください」と先代社長の右腕とされる建築部長を紹介されたことがきっかけで始まりました。
大島さんの要望としては地震に強い家であること、台所の食器棚は壁面収納で安全第一であること、防音・断熱であることをお願いしたと言います。
場所は大島さんの妻の実家が近い方が何かと都合が良いことから、東京都杉並区の阿佐ヶ谷を選びました。
土地の広さは32坪、半地下もある地上3階建てで、価格は5000万円を超えました。
自宅の建設はスムーズに進み、1994年に引渡しが終わります。
当時の大島さんはちょうど現役を引退した頃、これからのプロ野球解説の仕事や家のローンのことで頭がいっぱいで、妻の「(新居が)欠陥住宅ではないか?」という意見も、それほど重要視していませんでした。
しかし、徐々に大島さんも自宅の異変に気がつきます。
2002年に大島さんが監督を退任し、家にいる時間が多くなってからは、さらに家が不具合だらけであることに気がつきます。
一例をあげるのこのようなものでした。
・断熱材が無い
・すきま風がすごい
・設計図を無視している
・蛍光灯を接着剤で固定している
・洗濯機で家が揺れる
・車庫が浸水する
・雨音でテレビの音も聞こえない
・エアコンから水があふれ出した etc
専門家の調査によると、16ヵ所もの大きな欠陥が見つかったとのことでした。
また、ハウスメーカーに自宅の欠陥に対して修繕の依頼をしても、こちらが費用を負担するケース以外は積極的に動いてくれなかったと言います。
酷い時には雨漏りを指摘すると、応急処置だと言ってその部分にティッシュを詰めて、1年半もほったらかしにされたと大島さんは語っていました。
こうしたハウスメーカーの不誠実な対応が重なったため、何度も催促せざるを得なかったのですが、その行為がクレイマーだとされてしまいます。
そこで大島さんは、建築ジャーナリストの岩山健一さんに家の検査を依頼し、その検査結果を持って会社に対応を求めたのですが、それでもなかなか回答を出てきませんでした。
そうして2ヵ月が過ぎたある日、突然裁判所から調停の書類がと届いたのです。
つまり、ハウスメーカー側が大島さんを訴えたのです。
その訴状には大島さんの人格を否定するような表現があったとのことで、到底納得できない事態に弁護士に相談して裁判をすることになりました。
ここから5年半も続く裁判が始まったのです。
持病を抱える大島さんにとって、この裁判はまさに命がけでした。
では、大島さんと裁判をすることになったこの「ハウスメーカーH」とはどんな会社だったのでしょうか?
杉並区阿佐ヶ谷でハウスメーカーを検索してみると「細田工務店」(株式会社細田工務店)という建設会社があがってきました。
細田工務店はイニシャ儿はHで、Wikipediaで「杉並区」を調べてみると、主な企業としても紹介されている地場のハウスメーカであることがわかります。
また、インターネット上でもいくつか大島さんが裁判をしていた建設会社が細田工務店だという記載もありました。
もちろん、推測の域を出ませんが、かなり可能性は高いのではないでしょうか。
裁判結果は到底納得のいくものではなかったという大島さん…
現在、大島さん一家はマンションに引っ越して、大人4人とペット1匹で2LDKの部屋で暮らしています。
杉並区の自宅は別の建設会社・秀光ビルド(株式会社秀光ビルド)に依頼しました。
大島さんは秀光ビルドの社長と直接会い、今回裁判に至ってしまった経緯や将来への不安などについて話したところ、誠意をもって対応してくれたとのことです。
長かった裁判も終わり、今度こそ大島さんが望むような自宅に家族みんなが安心して過ごせるようになればと願うばかりです。
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