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東郷かおる子…現在までの活動をWiki風に紹介してみた件

1978年頃から1990年までの間、洋楽専門誌「ミュージック・ライフ(MUSIC LIFE)」の編集長を務めたのが「東郷かおる子」さんです。
伝説のロックバンドQueen(クイーン)を初めて日本で紹介した人物としても知られています。
今回はそんな東郷さんのこれまでを振り返ってみたいと思います。

名前:東郷かおる子(とうどうかおるこ)
職業:音楽評論家
出身:神奈川県




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神奈川県出身の東郷かおる子さん。
高校卒業後は新興音楽出版社(現:株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社しています。
そして1978年頃から1990年までの間は洋楽専門誌「ミュージック・ライフ(MUSIC LIFE)」の編集長を務めました。

東郷さんは生年月日や年齢を明らかにしていませんが、20代の頃にミュージック・ライフの編集長になっていたとすると、今は60代になっているかと思います。

当時、日本で洋楽は今ほどメジャーではなく、東郷さんも「キャッシュ・ボックス(Cash Box)」や「ビルボード(Billboard)」、「ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NIE)」などを読んだり、辞書を引きながらツアーなどの情報を得ていたのです。

1970年代にはクイーン(Queen)やチープ・トリック(Cheap Trick)、ジャパン(Japan)などを積極的に取り上げ、1970年代前半にはロックのラジオ番組のDJも担当しました。

中でも当時、東郷さんと関わりの深かったバンドと言えば、、イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンド「クイーン(Queen)」です。
クイーンを知らなくとも、名曲「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を聞けば、知っているという人も多いでしょう。

このクイーンを初めて日本で紹介したのも東郷さんなのです。
それまでのレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)、イエス(Yes)、ピンク・フロイド(Pink Floyd)など、東郷さんに言わせれば、めんどくさい音楽ばっかりだったそうです。

しかし、東郷さんにとってクイーンは、日本の洋楽ロックの裾野(すその)を広げてくれた時代を変えるバンドだったのです。
1975年4月にクイーンは初来日を果たしますが、当時クイーンが所属していたレコード会社のワーナーパイオニアとミュージックライフが推して、半年ほどで人気に火がつきました。

クイーンとして行った最も有名なパフォーマンスの一つにライヴエイドがあります。
1985年のライヴエイドは東郷さんも会場で見ていました。

そこでクイーンの格好良さにほれ込んだ東郷さん…
中でもお気に入りがヒリヒリする焦燥感を凝縮した曲が「ボヘミアン・ラプソディ」でした。
リードボーカルのフレディのパフォーマンスも圧倒的で、「絶対に日本で受ける!」と確信したと言います。

また、このフレディと東郷さんには親交があり、インタビュー嫌いで知られるフレディも彼女にだけには心を許し、来日の度に特別に取材を受けることができました。

フレディが日本好きだったことも東郷さんは明かしており、本人に東洋系の血が入っていることもあって、日本の古美術に興味を持っていたそうです。
中でもフレディは伊万里焼コレクターで、来日した時には掛け軸や壺を買っていたり、ロンドンの自宅には日本庭園を作っていました。

フレディの日本好きは本物で、来日公演時のMCの半分は日本語で話し、アルバム「バルセロナ」に収録されている「La Japonaise」の歌詞の大部分は日本語で書かれていました。
こうした縁もあり、クイーンと東郷さんには切っても切れない絆ができたのです。

1980年に退社した後、東郷さんはフリーの音楽評論家として活動を始めました。
しかし退社後も「QUEEN of the DAYクイーン・オブ・ザ・デイ―クイーンと過ごした輝ける日々」(2004年)や「クイーンと過ごした輝ける日々」(2019年)などの書籍を出版しており、クイーンとの絆は健在です。

また、2018年にはクイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)が公開され際には、映画のトークイベントなどにも参加していました。




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