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清貴…LGBTをカミングアウトして本来の自分を取り戻す?!




 

2000年10月にシングル曲「No No No」でデビューした「清貴」さん。
3rdシングル「The Only One」が40万枚の大ヒットを記録し、全国有線放送大賞新人賞を受賞しました。

そんな清貴さんは2015年に自身がLGBTであることをカミングアウトしているのです。
カミングアウトの経緯や清貴さんにはどのような心境の変化があったのでしょうか。

名前:清貴(きよたか)
別名:Ki-Yo
出生名:栗原清貴
生年月日:1982年11月22日(36歳)
職業:シンガーソングライター
出身:宮城県仙台市
学歴:宮城県仙台第二高等学校




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2015年8月25日、「初めて話す僕のゲイとしての経験」と題して、清貴さんは自身のブログ(アメブロ)でLGBTであることをカミングアウトしました。
まずは2015年6月にアメリカの最高裁で同性婚が認められてことにふれ、小学生の頃から自分の性に疑問を感じていたと語り始めたのです。

気が付けば男の子を目で追っていたこと、ラブレターを男の子に書いたこと、中学・高校と成長するにつれて、どんどん本当の自分を隠すようになっていったことなど思春期の葛藤がブログには記されていました。

中でも、高校生の時から付き合っていて、一緒に東京に出て来た女性にカミングアウトした時には、彼女は叫ぶように泣き、清貴さんも人生で一番と感じるほど思いっきり泣いたと言います。
その帰り道では罪悪感しかなく、そのまま死のうと思ったほどでした。

ただ、カミングアウトできたのは稀でどうしても仲間外れにされるのが怖くて、ずっと本音を言えない自分がいました。
また、そのことを忘れて没頭できるのが音楽でもあったのです。

特に人種差別が根強く残るアメリカで、黒人が抑圧されながらも救いを求めて生まれたゴスペルが、どこから自分との境遇と重ね合わせた清貴さんの心に響きました。

日本に帰って来た清貴さんは、アメリカでの経験や素晴らしい出会いもあり、2015年にカミングアウトする決心がついたのです。
カミングアウトした後は、男性として見ていたファンからは「ショックを受けた」と言われたりもしました。

しかし、「清貴君の音楽が好きだから何も変わらない」という人も多く、救われたと言います。
さらに、清貴さんと同じように社会的に生き辛さを抱えるLGBTや、障がいを持った人から暖かい声援も届きました。

2000年に10代でデビューして20代の頃は、暗くてどこかに陰があると言われていた清貴さん。
しかし、カミングアウトした瞬間に、それまで自分を取り囲んでいた壁がなくなった気がしたと言います。

自分を素直に表現することで、自分自身を好きになって、ありのままを受け入れられるようになりました。
そして自分のためだけでなく、もっと誰かのために歌いたいと思えるようになったとも言います。

近年、日本においても東京レインボープライドなどLGBTの大規模なイベントが行われたり、映画監督の橋口亮輔さんや声優の三ツ矢雄二さん、東京大学名誉教授で日本文学研究者のロバート・キャンベルさんなどが、LGBTであることをカミングアウトしています。

清貴さんもイギリスのシンガーソングライターのサム・スミスやエルトン・ジョン、プエルトリコ出身の歌手であるリッキー・マーティンなどがLGBTであることをオープンにしながら音楽活動をしていたことに勇気付けられたと言います。

日本ではまだまだ少ない状況ではありますが、清貴さんは色々な性がオープンになれない日本の社会で、当事者が自信を持って生きていくことで、世の中が変わっていくとを今は信じていると語っていました。

他にも色々な人が、それぞれの弱さやコンプレックスを抱えながら生きていると思うので、みんながより生きやすい世の中になるための手助けになればと語っていたのでした。




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