映画「黒部の太陽」や「男はつらいよ」、テレビドラマでは「西部警察」や「仰げば尊し」などに出演していた俳優でシンガーソングライターの「寺尾聰」さん。
その寺尾さんが所属していた石原プロモーションを脱退したのは、1982年のことでした。
果たして、この石原プロ脱退の理由は何だったのでしょうか?
名前:寺尾聰(てらおあきら)
生年月日:1947年5月18日(72歳)
職業:ベーシスト、シンガーソングライター、俳優
所属:寺尾音楽事務所(個人事務所)
出生地:神奈川県横浜市保土ケ谷区
学歴:文化学院
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みんな「破門された」とか「クビになった」とか言ってるけど、そうじゃないんだ。今度のことは絶対に喧嘩別れじゃない。そこのところをよくわかって欲しい!
1982年5月10日の水戸市・茨城県民文化センターで行われたコンサートを終えた寺尾聰さん(当時35歳)は、楽屋での取材にこう訴えました。
続けて、
だって、そうでしょう?社長(石原裕次郎さん)や哲アニイ(渡哲也さん)などが、僕のことを気に入らなくて「寺尾はクビだ!」ということになったら、そういうことはストレートに出て来ますよ。石原プロってそんな体質の会社なんだもの。そういう話は出てないでしょ?
と語ったのです。
確かに当時、一部の週刊誌には「裕次郎が激怒!」などと伝えられていましたが、そういう過激な表現とは裏腹に、石原プロは脱退する寺尾さんに対し、レコードやテープなど石原プロが所有している全ての権利を寺尾さん本人に譲渡しているのです。
また、レコード会社(東芝EMI)に対しても「寺尾を暖かく見守ってやってくれ」という要望までしていました。
もちろん、この時に行なわれていた寺尾さんの全国縦断コンサートツアーも、最終日の6月1日まで石原プロが責任をもってプロモートしています。
今は何を言っても無駄だろうけど、これまで報道された記事には誤解が多過ぎる!
と、寺尾さんは憤慨していました。
さらに、
哲アニイと俺の仲が悪い、というのもそうだよ。そんなことは全然ないのに…その証拠に、辞めると決まった後、アニイは俺に言ってくれた。「俺とお前の関係は、今回の事件があったからって変わるもんじゃない。お前が一番かわいいと思うのは死ぬまで同じだ…」って…
と、悔しい思いを滲(にじ)ませていたのです。
元はホリプロダクションに所属していた寺尾さん。
しかし、映画「黒部の太陽」への出演を機会に、実父である宇野重吉さんから石原裕次郎さんの事務所に預けられることになりました。
脱退の時には石原プロへ来て15年が経っていたのです。
その間には当然、寺尾さんの中でも様々な葛藤がありました。
結局、今度のことは、男35になった俺が「新しい夢を見たい…」という希望に、石原プロのみんなが同意してくれた、ということなんだ。ただ具体的に何をするか、そういうことは言える段階じゃないけどね。
と話す寺尾さん。
そもそも、この脱退劇が急速に進展するきっかけになったのは、コンサートツアー初日の1982年3月23日に遡(さかのぼ)ります。
当時、神戸国際会館のコンサートを開催していた寺尾さんが、その会場でマスコミに対して取材を拒否した事件が発端でした。
「マスコミにはできるだけ協力してもらう」という石原プロ首脳部の方針と、「マスコミよりファンを大切にしたい」という寺尾さんの考え方が、真っ正面から対立したのです。
でも、僕は全面的にマスコミを拒否してるわけじゃない。今度のコンサートの取材の件だって、以前からきちんと申し込んでくれていたマスコミに対しでは、こちらも協力している。ただ、僕は来てくれたお客さんのために汗を流したいんだ。そのためには余計なことに気を使いたくない。アーティストとして、その考えは間違っていないと思う。
と寺尾さんは話しました。
仕事に関しては、頑ななまでに自分の考えを守り通す寺尾さんと、マスコミに対しての義理を大切にする石原プロは、この一点で妥協点を見い出せなかったのです。
記者会見の席上で、小林正彦・石原プロ専務(当時)が、裕次郎さんの言葉を代弁して「かわいい子には旅をさせろ。アーティストとして出来あがった彼は、外に出してやった方がもっと大きくなる」とコメントをしていました。
寺尾さんも、
俺は社長、アニイ、専務の3人に一番かわいがられた。それは何よりも俺のプライドになっている。これから仕事をしていく上でも、このプライドは大事に持ち続けていくよ。
と語ったのです。
また、
俺は完全に石原プロから去るわけじゃない。看板は掲げていないけれど、石原プロの人間が一人、外で活動していると思って欲しい。
とも語ったのです。
こうして寺尾さんは石原プロを正式に脱退。
1980年代後半からは黒澤明監督の「乱」や「夢」、「まあだだよ」に出演し、「雨あがる」では主演を果たしました。
この「雨あがる」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞、2005年の「半落ち」でも同賞を受賞し、2008年には紫綬褒章を受章、2018年には秋の叙勲で旭日小綬章を受章しています。
まさに「かわいい子には旅をさせろ」と語った石原プロの気持ちに応えた形となったのです。
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