日本サッカーリーグでの通算202得点は歴代1位、通算79アシストも歴代1位、日本年間最優秀選手賞7回受賞も歴代1位と数々の記録を樹立した日本が誇るべき元サッカー選手の「釜本邦茂」さんです。
そんな釜本さん引退試合は1984年8月のことでした。
この試合にはサッカーの神様ペレも駆けつけたのです。
名前:釜本邦茂(かまもとくにしげ)
生年月日:1944年4月15日(75歳)
職業:元サッカー選手、元サッカー指導者、元参議院議員、実業家
出身:京都府京都市右京区太秦
学歴:早稲田大学
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日本サッカー協会 (JFA) 顧問で、元サッカー選手・釜本邦茂さん(当時40歳)の引退記念試合が行われたのは、1984年8月25日のことでした。
ちなみに、釜本さんが引退するきっかけとなったのは、自宅でイスから立ち上がる際にテーブルに当たってしまい、体を痛めたことです。
この時に「もう(日常の簡単な動作さえできないのなら)選手は仕舞いやな」と決意したと言います。
さて、話は戻って1984年8月25日には、ヤンマーディーゼル対日本サッカーリーグ選抜戦が行われ、これが釜本さん引退試合となりました。
試合は6万2千の大観衆の中、東京・国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたのです。
山城高校時代、ユース代表に選ぱれてからの全得点数は前人未踏の大記録で、銅メダルを獲得したメキシコオリンピックでも、7得点をあげて得点王に輝いていた釜本さん。
すでに1984年元日の天皇杯以後はヤンマーディーゼルの監督に専念していましたが、この日は久々に90分のフル出場。
両親と妻の修子さん(当時42歳)、長男の達生(たつお)さん(当時22歳)も来賓席で観戦していました。
ヤンマーディーゼルには、すでに引退していたサッカーの神様・ペレ(エドソン・アランテス・ド・ナシメント)と、左足の魔術師と言われた西ドイツ(当時)のヴォルフガング・オヴェラートが助っ人で友情参加して、日本リーグ選抜と激突したのです。
前半15分、釜本さんは見事にシュートを決めて、全得点を538に伸ばしました。
試合は3-2でヤンマーディーゼルが勝利をおさめ、蛍の光が流れる場内をペレ達に肩車された釜本さんが競技場を1周、総立ちになったファンの声援に応えたのです。
試合後の競技場にはサポーターから「釜本コール」が鳴り響きました。
多分、涙は出なかったと思うが、これでもうサッカーをやらせてもらえないのかと感無量だっだ。25分過ぎた頃、肉体的な限界を感じたが、戦う気持ちはまだある。最高の状態を100点とすれば今日は50点くらいかな。それでもフル出場できてよかった。もっともゲーム後半は、最後の挨拶のことで頭がいっぱいだったけどね。
と語り、有終の美を飾った鉄人・釜本さんの表情はさわやかなものでした。
引退試合を超満員のファンから祝福された父はすごいと思う。
と、長男の達生さんがコメントすれば、妻の修子さんも、
現役時代はずいぶん気をつかいましだが、今日は明るい雰囲気で最後までよくやってくれました。
と、コメントしたのです。
引退後の釜本さんは引き続きサッカー指導者や一時は政治家としても活躍し、1996年に日本サッカー協会(JFA)理事に就任しています。
さらに、2010年7月にはJFA名誉副会長を退いて顧問になりました。
2014年にはイギリスのスポーツ専門サイト「Sports MOLE」で、歴代日本代表選手の1位に選ばれ、またこの年には旭日中綬章を受章しています。
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