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林家しん平と桂木文…離婚会見で海老名香葉子が理由を語る?!




 

初代・林家三平さんを師匠に持ち、三題噺の天才とも称された「林家しん平」さん。
郷ひろみさんの恋人役に4万人の中から選ばれ、1978年のテレビドラマ「ムー一族」(TBS系)で芸能界デビューを果たした桂木文さん。

そんな二人は1985年に結婚するも、わずか7ヵ月で離婚したのです。
果たして、二人の離婚理由とはいかなるものだったのでしょうか。




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名前:林家しん平(はやしやしんぺい)
本名:綱川千秋(つなかわちあき)
生年月日:1955年10月26日(63歳)
職業:落語家、映画監督、脚本家
出身:東京都杉並区高円寺
所属:落語協会
学歴:八王子工学院大附属高(中退)

名前:桂木文(かつらぎあや)
本名:蟹江文(かにえあや)
生年月日:1960年12月16日(58歳)
職業:女優、元アイドル
出身:愛知県名古屋市
学歴:東京都立代々木高等学校




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1986年2月、落語家の林家しん平さん(当時30歳)と、女優の桂木文さん(当時25歳)が突然、離婚を発表しました。

1985年の正月に女優の岸本加世子さんの紹介で知り合い、しん平さんが桂木さんに一目惚れ。
口説きに口説いてゴールインしたというもので、桂木さんもしん平さんの一途さに惹かれたと婚約時代には語っていました。

そうして、1985年6月9日に師匠だった故・林家三平さん宅で祝言を行ない、7月19日に入籍したのです。

三平師匠の未亡人で、親代わりの海老名香葉子(えびなかよこ)さんの話では、1986年の2月にでも披露宴をやろうと思っていた矢先のことだったと言います。
まさに、約7ヵ月のスピード離婚でした。

離婚の記者会見が行なわれたのは、1986年2月10日の深夜、東京都台東区の故・林家三平さんの自宅でした。
当日、しん平さんは渋谷のライブハウス「エッグマン」で初ライブがあり、三平さんの妻・香葉子さんに付き添われた桂木さんだけが会見に臨んだのです。

そもそもの発端は、1985年の12月19日、些細なことからケンカをして桂木さんが家を飛び出したのが始まりでした。
会見でも、その理由は話してくれませんでしたが、話のよるとそれまでのわだかまりが一気に吹き出したというものだったのです。

離婚の原因については、ロごもる桂木さんに代わって、香葉子さんが、

しん平も大人ではなかったけれど、文ちゃん(桂木さん)も肉体的にも精神的にも、大人ではなかった。つまり女性になりきれなかったということですね。一緒にいれば、どうしても噛み合わない部分が…キズが深くならないうちに、ということです。

と、発言しました。

そして、

とにかく文ちゃんはぬいぐるみを抱いて寝るような本当にウブでかわいい子ですからね。

と、付け加えたのです。

記者たちの疑問は、香葉子さんの言う「肉体的にも大人ではなかった」という発言でした。
この辺りのことを聞くと、香葉子さんは、

文ちゃんを連れて、病院にも行きました。すごく自分は子どもなんだと文ちゃんは悩んでました。この件は、これで察してください。

とコメントし、さらに、

ちょっと早過ぎたんですね。いろいろな意味で成長しないうちに結婚してしまったのですから…

と、多くを語りませんでした。

桂木さんは時々唇を噛みしめながら、

私が全て至らなかった。しんちゃんをイライラさせて申しわけないと思っています。

彼にはもっと太って丈夫になれって言われました。

と、コメントしました。

これまで何度か二人の親を交えて関係修復の話し合いが設けられたようですが、どれも上手くいきませんでした。
どうやら二人の間には文字通り、大人の事情があったようなのです。

その後、しん平さんはタレントの高見恭子さんとも浮名を流したりもしましたが、再婚したという話は入って来ていません。

一方の桂木さんは離婚後も多数のドラマに出演していましたが、2002年以降からは活動している様子は見受けられませんでした。
一部では一般男性と再婚して、主婦をしているという話も出ていましたが、詳細は明らかになってはいません。




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