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喜多郎…前妻・田岡由伎は山口組組長の娘だったの?!




 

世界でも高い評価を受けているシンセサイザー奏者・作曲家の「喜多郎」さん。
1994年には映画「天と地 (Heaven&Earth)」でゴールデングローブ賞作曲賞を、2001年にはグラミー賞を受賞しています。

そんな喜多郎さん、プライベートでは1984年に、元山口組・田岡一雄組長の長女、田岡由伎さんと結婚しているのです。

名前:喜多郎(きたろう)
本名:高橋正則(たかはしまさのり)
生年月日:1953年2月4日(66歳)
職業:キーボーディスト、シンセサイザー奏者、作曲家
出身:愛知県豊橋市。
学歴:愛知県立豊橋商業高等学校




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喜多郎さん(当時30歳)と田岡由伎さん(当時29歳)は、1984年の年の瀬に戸隠神社(長野県長野市北西部)で結婚式を挙げました。
その日は早朝から猛吹雪で、凍りつくような寒い日だったのです。

羽織袴の新郎・喜多郎さんは、代表作となった「シルクロード」で一躍スターダムにのし上がったミュージシャン。
白無垢衣装の花嫁、由伎さんは日本最大規模の指定暴力団・山口組の故・田岡一雄組長の長女でした。

列席者は愛知県豊橋市の実家から駆けつけた喜多郎さんの両親と、由伎さんの母親・文子さん、そして異母兄となる故・田岡満さんなど身内だけです。

仲人を引き受けたのは、喜多郎さんが所属していた事務所の社長夫妻で、結婚指輪を持って車で東京を発ち、式が始まる午後1時ぎリぎリに現地へ到着していました。

神主の祝詞、新郎新婦の誓いの言葉、指輪の交換と厳粛に式は進み、式は約30分ほどで終わりました。
喜多郎さんはスニーカー、由伎さんは白い長靴を履いて、新郎に手を取られながら新雪が50センチも降リ積もった神社の前庭へ降リ立ったのです。

終わってホッとしたが、寒かったなあ。厳粛な式を挙げられてよかった。

と喜多郎さん。

由伎さんも、

三々九度の酒杯で思わず胸が熱くなリました。

とコメントしたのです。

二人は挙式の2年前、1982年に知り合いました。
喜多郎さんは由伎さんの背景を全く気にせず、由伎さんはそんな喜多郎さんの純粋さにひかれたと言います。

「大自然の中で素直に生きる」ことを求める喜多郎さん。
新居は200年前の廃屋を改造した北安曇(あずみ)郡八坂村の一軒家で、そこで二人の新しい生活が始まりました。

とは言え、喜多郎さんにはコンサートツアー「喜多郎・飛雲篇」が、翌年の1月17日からスタートしているため、いきなりの単身赴任で家にはほとんどいない状態。

一方の由伎さんは、これまで経験したことのない、雪下ろしや今まで喜多郎さんがやっていた1年分の漬け物作りなども、やることになったのです。

ただ、やはりそんな生活が難しかったのか、二人の結婚は長くは続かず、6年後の1990年に離婚。
その後 喜多郎さんは生活の拠点を海外に移しました。

それからの喜多郎さんは、アメリカ音楽誌ビルボードのニューエイジ部門アルバム・チャートで、日本人初の8週連続第1位を獲得、さらにはグラミー賞を受賞するなどアメリカで不動の地位を築きました。

また、離婚後も長野県との関係は残り、2013年には信濃大町にて、「北アルプス喜多郎コンサートin信濃大町」を開催しています。

一方、由伎さんは心理カウンセラーやエッセイストとして活躍し、有限会社ユキオフィスを立ち上げ、そこの代表取締役に着任。
また、甲陽運輸株式会社や株式会社セルフィール監査役に就くなど、実業家としても活躍しています。




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