元・バレーボール選手の「丸山由美」さん。
1984年のロサンゼルスオリンピックで銅メダルに輝き、さらにこの年には日本リーグ105試合出場を達成し、日本リーグ出場記録を更新しています。
そんな丸山由美さん、プライベートでは4歳年下で日立のコーチをしていた丸山貴也さんと結婚しています。
果たして、2人の結婚式とはどのようなものだったのでしょうか。
名前:丸山由美(まるやまゆみ)
旧姓:江上由美(えがみゆみ)
生年月日:1957年11月30日(61歳)
職業:バレーボール指導者
出身:東京都
学歴:松蔭高等学校
丸山由美(旧姓:江上由美)さんと言えば、1984年のロサンゼルスオリンピックでは、日本に銅メダルをもたらした全日本チームのキャプテンです。
しかし、オリンピック終了後は惜しまれながら現役を引退し、コーチになっていました。
その現役引退パーティーの時に、意気投合したのが、4歳年下のコーチの丸山貴也(まるやまたかなり)さんです。
以後、二人は付き合いが始まり、見事に結婚までゴールインしました。
結婚式の日は1986年3月15日、新婦の由美さん(当時28歳)は、高島田(たかしまだ)に綿帽子(わたぼうし)、白無垢(しろむく)の打掛(うちかけ)という純日本風の結婚式を挙げました。
ただ、由美さんの身長は175センチもあり、カツラをつけると185センチ。
「一番薄いものを選んだ」という、底が3~4センチの草履(ぞうり)を履くと、190センチ近い花嫁になりました。
新郎の丸山さん(当時24歳)は、紋付(もんつき)の羽織り袴で同じく純日本風。
179センチの長身でしたが、この日ばかりは、花嫁に身長で差をつけられ、由美さんを見上げる形になりました。
由美さんはその後、披露宴では赤を基調とした色打掛(いろうちかけ)、お色直しには、目のさめるようなピンクのイブニングドレスを着て、コートとは全く違う女らしさを見せつけたのです。
一方の丸山さんも今度は白のモーニングで、由美さんをエスコートしていました。
ちなみにホテルの衣装部では、 色打掛も白ムクも、規定サイズよりが50センチも長いものを特別注文で作って貸し出したそうです。
それほど、当時としては珍しい高身長カップルだったのです。
この日の出席者は、先輩、友人、恩師などなど。
披露宴では絶対に泣かないと心に決めていた由美さんでしたが、友人のスピーチや、彼女と共に2本柱と言われた三屋裕子(みつやゆうこ)さん(当時:学習院大学の助手)が歌う「乾杯」を聴いた時には、思わず涙ぐんでしまいました。
とても幸せそう。丸山さんは年下という感じがなくて、彼女も頼りきってますからね。私も焦らなければいけないけど、ここまでくれば悟りの境地です。
こう語っていた由美さんより1つ年上の三屋さん。
拳式で由美さんが持っていた花束を投げると、「今度は私の番よ!」とバレーボール選手の身体能力を大いに活かして受け取ったという場面もありました。
インタビューに答えた2人は、「子供は何人欲しいか?」と聞かれて、丸山さんが、「男の子ばかり3人だね」と答えると、由美さんが、「女2人と男1人がいいわ」とコメントしています。
お互いに「ユミ」、「マル」と呼び合っていることも明かしました。
その後、2人の間にが由美さんの思惑が的中したのか、娘2人が生まれています。
特に1991年12月23日に生まれた次女の丸山紗季さんは、両親と姉の影響を受けてバレーボールを始め、現在は富山県黒部市を本拠地とする女子バレーボールクラブチーム「KUROBEアクアフェアリーズ」に所属しています。
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