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初代・三波伸介の死因はタバコが原因だった?!




 

流行語にもなったギャグ「びっくりしたなぁ、もう」を生み出し、「てんぷくトリオ」として名を馳せ、人気番組「笑点」3代目の司会者を務めた初代・「三波伸介」さんが亡くなったのは1982年暮れのことでした。
人気絶頂での突然の死だったのです。

名前:初代・三波伸介(みなみしんすけ)
本名:澤登三郎(さわとさぶろう)
生年月日:1930年6月28日~1982年12月8日(享年52歳)
職業:コメディアン、俳優、司会者、タレント
出身:東京府東京市本郷区
学歴:日本大学芸術学部映画学科(中退)




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1982年12月8日、午後3時20分、新宿のデパートに買い物に出かけていた妻と長男が家に帰ると、パジャマ姿の夫・三波伸介さんが居間で倒れているのを見かけました。

しかし、三波さんは家族の前でもよくおどけるような人物…
妻は最初は夫がよくやる死んだふりかと思い、「またあ、やめなさい」と言おうとしたのです。

しかし、目はかっと開いたまま…
これはおかしいと、救急車とホームドクターに慌てて電話をかけました。

救急車が到着したのは、それから10分後…
救急隊の人が心臓マッサージと酸素吸入を行います。

ホームドクターは脈を診ました。
しかし、脈も心音もかすか…
ただちに東京医大病院に搬送されましたが心臓の鼓動は戻らず、午後4時43分に死亡が認定されたのです。

死因は大動脈瘤破裂…
動脈硬化と慢性疲労が重なったのが原因とみられました。
昭和を代表する喜劇役者、三波伸介さんの52歳での早すぎる死だったのです。

三波さんは1930年生まれ…
日大芸術学部を中退し、俳優を目指し、水の江滝子さんの劇団や浅香光代さんの一座に加わった後、1950年頃に演出家に「君は喜劇向きだ」と言われ、コメディアンに転向しました。

その後は浅草フランス座などのストリップ劇場で小喜劇を演じて修業を積んだのです。
1958年には大阪で玉川良一さん、東けんじさんと「おとぼけガイズ」、東京に戻り、1962年頃、伊東四朗さん、戸塚睦夫さんとコントグループ「ぐうたらトリオ」を結成しました。

コメディアンの登竜門といわれた日劇ミュージックホール出演を機に「てんぷくトリオ」と改称してからジワジワと注目されるようになったのです。
当時、この「てんぷくトリオ」の座付き台本作家には後に小説家として活躍する井上ひさしさんがいました。

テレビでも当時の人気番組であった「大正テレビ寄席」などでコント55号などと共にお笑い界のスターとして活躍…
三波さんのギャグの「びっくりしたなぁ、もう」というフレーズに観客は沸いたのです。

1970年から笑点の司会を担当…
1972年からはNHK「お笑いオンステージ」が始まりました。

この番組の前半は三波さん、伊東さんほか小松政夫さん、東八郎さん、ポール牧さんらが喜劇を演じる「てんぷく笑劇場」…
後半は三波さんがゲストの有名人の家族の証言から似顔絵を描く「減点パパ」のコーナーで、1982年の4月まで日曜夜の定番として長寿番組となったのです。

当時の三波さんの存在は大きく、死亡当夜からテレビでは追悼番組が続々放映されました。
年内分までの「笑点」の収録は終わっていたのですが、正月特番は司会者不在のまま放送されたのです。

また、三波さんは体重89キロの巨体…
酒は飲まなかったのですが、1日60本のヘビースモーカーで1日10杯のコーヒーと長年の疲労の蓄積が寿命を縮めたといわれました。
彼の死は不摂生をして多忙な生活を送る世のサラリーマンを「人ごとではない」と震撼させたのです。

意外なことに、三波さんの遺産は不動産のみで、三波さんの死後に預金通帳を遺族が確認した処、全く残っていなかったと言います。
その後、三波伸介さんの名は同じコメディアンの道に進んだ長男(澤登伸一さん)が二代目を継いでいます。




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