「本木雅弘」さんと言えば「シブがき隊」の元メンバーであり、嫁の内田也哉子さんの父親はロックミュージシャン内田裕也さん、嫁の母親は女優の樹木希林さんといったように、そうそうたる顔ぶれです。
では、そんな本木雅弘さん内田也哉子さんとの馴れ初め、さらには子供のデビューまではどのような経緯があったのでしょうか?
■内田裕也と樹木希林…馴れ初めから「なぜ離婚しない」がわかる?!
名前:本木雅弘(もときまさひろ)
本名:内田雅弘(うちだ まさひろ)
生年月日:1965年12月21日(53歳)
職業:俳優、元歌手
所属:メンズアート(個人事務所)
出身:埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)
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ではなく、「2年B組仙八先生」でデビューしました。
ちなみに当時、他にも薬丸裕英さんや布川敏和さん、三田寛子さんなどもこのドラマでデビューしています。
翌年アイドルグループ「シブがき隊」のメンバーの「モックン」として、布川敏和さん(フックン)・薬丸裕英さん(ヤックン)と一緒に、シングル「NAI・NAI 16」で歌手デビューも果たします。
その後1988年にシブがき隊は解散でなく“解隊”に…
それからの本木さんはジャニーズの枠を越えた芸能や俳優活動やを開始しました。
たとえば1999年の「ファンシイダンス」で役では坊主頭で挑み、映画初出演ながらシブがき隊のイメージを覆す演技を見せました。
また、1991年には篠山紀信さんの撮影によるヘアヌード写真集「white room」を出版したりもします。
さらにはソロで初出場した第43回NHK紅白歌合戦では、コンドームを首からぶら下げた衣装やオシリを見せるパフォーマンスをサプライズで行って物議を呼んだこともあるのです。
そんなこんながあった本木さんですが、1995年に現在はエッセイストなどとして活躍されている内田裕也さんと樹木希林さんの娘、内田也哉子さんと結婚します。
馴れ初めは本木さんが海外の映画賞を取材する番組に、也哉子さんが通訳として同行していたことがきっかけででした。
ただ当時、也哉子さんはニューヨーク、ジュネーヴ、パリなど、学生時代は転々と過ごしており、本木さんは文通で也哉子さんとやり取りしていたそうです。
このやり取りで本木さんが待てなかったのか、本木さんは也哉子さんが17歳の時(本木さん25歳)にプロポーズしたのです。
本木さんは当時の也哉子さんの印象をこう語っています。
ルックスは若いのに、仕草とか佇まいが大人みたいでアンバランスな感じ。
またプロポーズの言葉は…
私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください。
也哉子さんも本木さんに対して、
スバラシイような、クダラナイようなところをもっとのぞいてみたかった。
と語っていました。
そうして樹木希林さんが也哉子さんが一人娘であったこともあり、本木さんに「内田の姓を残したいから」と頼み込んだ末、婿養子という形で結婚し、今では三児の父となったわけです。
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本木雅弘さん・内田也哉子さんの子供さんの活動
本木さんと也哉子さんの間には、1997年に長男・雅楽(うた)くんが生まれ、その2年後の1999年には長女の伽羅(きゃら)ちゃん、そして2010年には次男・玄兎(げんと)くんが生まれました。
中でも長男の雅楽くん高校3年生の時点で身長がなんと195センチもあったそうです。
その長身を活かしてバスケットボール選手になりました。
雅楽くんは当初、イギリスのロンドンの高校に通っていたのですが、相当バスケットが上手かったのでしょう。
その後はアメリカマイアミ州にあるバスケットボールがメインのハイスクールにスカウトされて転校したくらいです。
長女の伽羅ちゃんはイギリスに留学するなどしていたのですが、すでに映画「奇跡」などの子役としてデビューやモデルとしても活動しています。
また、2015年の映画「あん」で祖母の樹木希林さんと2度目の共演も果たしているのです。
ちなみに映画「奇跡」では高崎映画祭最優秀新人女優賞を受賞しました。
まさに内田家は才能あふれる芸能一家なのです。
きっと子供さん達もその才能を活かして、デビューされたりこれからの活躍に期待です。