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和田アキ子…最初の旦那・小林甫との離婚理由とは?

「私がかわいい女じゃなかったということ」…
こう言って、「和田アキ子」さん(当時27歳)は、体を震わせながらポロポロと大粒の涙をこぼしました。

1977年6月25日午後6時半、和田さんは所属するホリプロの事務所で、元マネジャーで会社社長の元旦那・小林甫さんとの離婚を発表したのです。

名前:和田アキ子(わだアキこ)
生年月日:1950年4月10日(69歳)
職業:歌手、タレント
所属:株式会社ホリプロ
出身:大阪府大阪市天王寺区舟橋町
学歴:城星学園高等学校(中退)




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和田アキ子さんが、仲人を務めたホリプロの堀威夫(ほりたけお)社長を訪ねたのは、その2時間前のことでした。
夫婦の間では離婚の結論が出ていたのですが、和田さんは堀社長を前にするとなかなか切り出せませんでした。

20分ほど決心がつかずにいましたが、「やっぱり離婚します。申し訳ありません」と振り絞るように言ったのです。
1976年10月9日に結婚式を挙げてから、わずか8カ月半後の離婚でした。

和田さんがデビューしたのは1968年10月。
“和製リズム・アンド・ブルースの女王”として注目されていましたが、最初のシングル「星空の孤独」は全く売れなかったのです。

小林甫さんがマネジャーとなったのは、2曲目「どしゃぶりの雨の中で」からで、和田さんをスターにしたい小林さんはテレビ局や出版社を駆けずり回りました。

その甲斐あってか、この曲はヒットチャート上位に食い込み、和田さんはスターダムにのし上がります。
しかし、小林さんがどんどん仕事を取ってくるので、和田さんは音を上げ、最後は喧嘩別れしてしまいました。

1970年、小林さんは和田さんのマネジャーを降り、ホリプロを退社。
このまま2人の縁は切れてしまうはずでしたが、そうならなかったのです。

和田さんがたびたび小林さんに電話をかけ、悩みを打ち明けるようになったからです。
こうして2人は急接近し、互いに結婚を意識するようになっていきます。

1971年8月、2人は堀社長を訪ね、結婚の許可を求めました。
しかし、その時は堀社長からは時期尚早と説得されたのですが、その後も交際は続きました。

出会いから起算すると8年間付き合ったことになりますが…
それがなぜ結婚後わずか8カ月半で破綻してしまったのでしょうか。

理由は和田さん自身が打ち明けていますが、夫婦生活がほとんどなかったからだとか。
人一倍、子どもが欲しかった和田さんはすごく悩んでいたのです。

和田さんは以前、理想の男性の条件として仕事にプライドを持っている、5歳以上年上、胸毛・髪の毛・ヒゲが伸びていないの3つを挙げていました。
小林さんはそれにピッタリだったのです。

一方、小林さんは和田さんをどう見ていたのか?
歌う姿にほれ込みながらも、次第に女性として見ることができなくなっていったのではないでしょうか。

かつては歓迎していなかった堀社長だが、結婚の最終段階ではキューピットの役割を果たしています。
和田さんがなかなか結婚に踏み切ろうとしない小林さんにイラ立ち、それを見かねた堀社長が間に立ち、2人に話し合いをさせたのです。

和田さんを愛せる自信を失いかけていた小林さんが、堀社長を前にして断崖を一気に飛び越えたのです。
しかし、それ土壇場の一時の情熱に過ぎなかったのです。

その後、和田さんはテレビカメラマンの飯塚浩司さんと再婚。
目立った危機もなく、幸せな家庭を築いています。






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