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斎藤ちはるの父親…アメフト選手の「斎藤伸明」はレジェンド!




 

乃木坂46から卒業し、アナウンサー職に内々定したとされている「斎藤ちはる」さん…
今回は、そんな斎藤ちはるさんの父親でもあり、現役アメフト選手の「斎藤伸明」さんのお話です。

名前:斎藤伸明(さいとうのぶあき)
生年月日:(49歳)
職業:アメリカンフットボール選手兼コーチ
学歴:東洋大学卒業




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サッカーの日本代表メンバーとして1964年の東京オリンピックに出場し、4年後の1968年のメキシコシティオリンピックでは銅メダルを獲得した鈴木良三(すずきりょうぞう)さんの甥(母の兄)にあたる「斎藤伸明」さん…
その影響もあってか、小学校に入学してから高校を卒業するまでの12年間は、ずっとサッカー漬けの毎日でした。

しかし、東洋大学(東京都文京区)に入学すると、サッカー部が自分が思い描いていたサッカーとは違うと感じて入部するのを悩みます…
そんな時にグランドの隣で一生懸命に練習していたアメフト部に興味を持った斉藤さんは、サッカー部ではなくアメフト部に入部するのです。

アメフト部では先輩からの勧めもあり、華形の目立つポジションということで、難易度が最も高いクォーターバック(QB)に挑戦しました。
クォーターバックとは攻撃側のリーダーの役目や攻撃の起点となる司令塔のポジションのことです。

華形である分、選手層も厚く1年生の時にはなかなか試合に出ることができませんでした。
しかし、2年生になると「投げれて走れて蹴れるクォーターバック」として活躍し始め、4年生の頃には東洋大学を初の2部リーグ優勝に貢献することができたのです。

ちなみに大学時代、アメフト部のマネージャーだったのが斎藤さんの妻…
つまり、斎藤ちはるさんの母親です。
斎藤さん曰く、献身的な仕事ぶりや笑顔、明るい雰囲気に惹かれたそうです。

大学卒業後は三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行…
実業団リーグ1部だった東京三菱銀行センチュリアンズ(現・オール三菱ライオンズ)では5年間プレーしましたが、大学時代に痛めた肩の具合が悪く、良いプレーができずに現役引退を決意しました。

現役を引退した後は、母校の東洋大学のコーチに就任します。
大学でも5年に渡って指導していたのですが、その間に実業団時代に調子の悪かった肩の具合が良くなり、現役復帰を決意します。
この時、長女の斎藤ちはるさんは、まだ小学生でした。

復帰先として選んだのが、当時3部(X3)だったバーバリアン(BARBARIAN)です。
当時のバーバリアンは3部の中でも6位のチームで、斎藤さんはバーバリアンでは副将とオフェンスリーダーという立場でチームに貢献することになります。

斎藤さんが加入してから、チームは2004年にシーズンを6戦全勝で終え、斎藤さんが決めた逆転フィールドゴール(FG)が決勝点になり、念願のX2昇格を勝ち取ることができました。

とは言え、バーバリアンは社会人チーム…
実業団チームを一度は引退した斉藤さんは、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)を退行した後、別の会社でサラリーマンをして、妻と長女(斎藤ちはるさん)・次女を養っていたのです。

現役復帰した際には、秋のリーグ戦の試合とちはるさんの運動会が重なり、「なんでパパ来てくれないの?」と泣かれたこともあったとか…
しかし、子供たちも徐々に理解を示し、「パパできる限りアメフトを続けて!」、「休んだらチームに迷惑かかるでしょ!」と言ってくれるようになったと言います。

2018年現在で48歳となる斎藤さんは「日本アメフト界のイチロー」、「日本アメフト界の鉄人」、「アメフト界のレジェンド」などとも称され、今なお現役アメフト選手として活躍しています。

チームは近年、2016年度(X2リーグ CENTRAL/5位/1勝4敗)と2015年(X2リーグ CENTRAL/3位/2勝2敗)いったように伸び悩んでいますが、「10年後も輝くチームであるために」をモットーにこれまでの既成概念にとらわれることなく、バーバリアンらしいやり方で一歩一歩前に進もうと決意していました。

これからもアナウンサーとして活躍するであろう長女・斎藤ちはるさん…
そして同様に、父親である斎藤伸明さんも応援していこうと思いました。

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