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和田アキ子…美容院経営に乗り出した意外な理由とは?!

NHK紅白歌合戦では、1970年の第21回に初出場して以来、これまで39回の出場を果たしている歌手の「和田アキ子」さん。
歌手の他にもタレントや司会者、ラジオパーソナリティなどとして活躍する和田アキ子さんですが、実は過去に経営者として美容院をオープンさせたことがあったのです。

当時、5000万円を投じてオープンした和田アキ子さんの美容院…
果たして、その背景には何があったのでしょうか。

名前:和田アキ子(わだアキこ)
生年月日:1950年4月10日(69歳)
職業:歌手、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ
本名:飯塚現子(いいづかあきこ)
所属:株式会社ホリプロ
出身:大阪府大阪市天王寺区舟橋町
学歴:城星学園高等学校(中途退学)




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和田アキ子さんが美容院の経営に乗り出したのは1986年ことでした。
この時のことを和田アキ子さんは、こう語っています。

「ゴッド姉ちゃん」とか「文句あっか」とか酷い役回りばっかりで、泣いて作った金ですよ。そんな金は自分の夢にパッと使いたいじゃないよ。

こうして、5000万円もの大枚を投じて、和田アキ子さんが美容院の経営に乗り出しました。
ただ、和田アキ子さんの言う夢とは、美容院の経営そのものというわけではなかったのです。

5年前(1981年)、2度目の亭主と入籍した途端、子宮ガンで子宮を取っちゃったじゃない。自殺しようと思い詰めたほどショックだったのよね。道で乳母車を見ると、そのまま盗んじゃいたいほど子供が好きだったからね。で、この10月からフィリピンの恵まれない子の里親を始めたの。美容院で儲けて、いつか富士山のふもとに難民の子を集めて「アッコズ・ホーム」を作りたいというのが夢。

そう語った和田アキ子さん。
実際に里親となり、里子の名前は和田アキ子さんの子供が当時5歳のデニス・ラマ君。
夫の飯塚浩司さんの子供が当時8歳のエリザベスちゃんでした。

二人は日本キリスト教協会(CCWA)を通じて、月々1人分の4000円ずつを仕送りしていたのです。
それまでも、芸能人主催のチャリティーショーではサングラスに帽子姿で一般人に交じって、名前をふせて数十万円を寄付し続けてきた和田アキ子さん。

お涙ちょうだいごっとは大っ嫌いなんだよね。だから、「アッコズ・ホーム」って言ったって、宮城まり子さん(歌手・女優・福祉事業家)とこみたいじゃ嫌なの。みんな並べてスパルタでビシビシやって、それで喧嘩しながらも仲良く遊べるようなでっかい家を作りたいんだ…

とも話していました。

美容室は1986年12月5日にオープン。
この時、芸能生活17年を迎えていた和田アキ子さんでしたが、事業に乗り出したのはこれが初めてのことでした。

美容院の名は「A&K BONAMI」。
Aは和田アキ子さんのA、Kは店のオーナーである夫・浩司さんのKから付けました。

また当時、BONAMIは東京・麻布にあるヘアサロンで、タレントや歌手にも顧客の多い店で、このBONAMIと和田アキ子さん、それにヘアアーティスト・二村桂子さんが手を結んで話はまとまったのです。

美容院は40坪(約122平方メートル)の広さがあり、場所は大阪・ミナミの一角にある「TMビル」3階(南区長堀橋)に決まりました。

弟のビルだからテナント料は負けてもらったけど、床は大理石だし、イスだって1脚100万円もするマレンコ(MARENCO)を5つも入れたんだ。ハンパないよ。

と語る和田アキ子さん。

ロサンゼルスで自分の美容室を経営していた二村桂子さんは和田アキ子さんの夢に一役買いたいと、「A&K BONAMI」のために帰国して店長を務めることになりました。

アッコはとってもウォームハートな人。毒舌の裏には熱い心が息づいています。ビジネス面ではイエス・ノーがはっきりして、欧米の人たちと同じ感覚で付き合えるから楽ですね。

と語った二村さん。

そもそも「アッコズ・ホーム」のために、美容院を選択した理由に関しては、

「アッコズ・ホーム」建設のための第一歩だから、美容院じゃなくて寿司屋だって何だって良かったわけよね。なのになぜわざわざ美容院にしたかっていうと、今の女がみんな汚なくなったから。若い女がみんな小林麻美にたなりたがってるみたいで、不潔っぽくて嫌なのよ。麻美は1人でたくさんでしょ?それぞれの女の子の個性に合った髪形を見つけてあげて、外面も内面もきれいになってもらいたいと考えたのが美容院に決めた理由。

と和田アキ子さんは語っています。

オープンにあたっては近藤真彦さん、田原俊彦さん、アン・ルイスさんなど30人ほどの芸能人から花輪が届きました。
料金はパーマコースで7000円~9000円。

ただ、カフェバーみたいなインテリアで、コーヒーやお茶、子供にはクッキーまで用意してあるから、店内はくつろぎサロンになってしまうこともあり、

こないだ店をのぞいたら、お客がみんなノンビリお茶飲んでるじゃない。だから、「ここは喫茶店しゃないんだよ!」って一喝しちゃった。おまけに店の女の子には「コノヤロー!それがお客に対する挨拶か」って怒鳴って泣かせちゃったし、みんな露骨にあたしの出入りを嫌がってますよ。

といったエピソードも語っていた和田アキ子さん。

1984年度の和田アキ子さんの年収は約6400万円で、歌手部門では堂々のべスト10入り。
これは歌はもちろん、当時、145万部のベストセラーになった本「和田アキ子だ!文句あっか!」や「和田アキ子の“バ・カ・ダ・ネ”―よせばいいのに言っちゃった―」の印税も後押ししました。

私の芸能人生活も一応60歳くらいで定年かなって思ってるわけよ。だから、アッコの家も60歳までに実現したらいいと思ってるの。もし、事業に失敗しても60になれば、あたしも今より貫禄がついていると思うから、みんなを脅かして芸能人村を作っちゃう。そこへ難民の子をいっぱい呼んで、みんなの子にしちゃう(笑)本当にそうなったら最高なんだけどね。

と語った和田アキ子さん。
美容院経営に乗り出した背景には、このような理由があったのです。






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