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島倉千代子…姉の自殺の背景には何があったのか?!

愛称は「お千代さん」…
と言えば、名曲「人生いろいろ」や「からたち日記」、「襟裳岬」などでも知られるの演歌・歌謡曲歌手の「島倉千代子」さんです。

そんな島倉さんは、2013年11月8日に肝臓がんで他界しましたが…
実は1987年に姉の敏子さんが東京・目黒川で投身自殺をしたことがあったのです。
果たして、姉・敏子さんの自殺にはどのような背景があったのでしょうか。

名前:島倉千代子(しまくらちよこ)
生年月日:1938年3月30日~2013年11月8日(享年75歳)
職業:演歌・歌謡曲歌手
レーベル:日本コロムビア
出身:東京都品川区北品川
学歴:日本音楽高等学校




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島倉千代子さんの姉・敏子さんの遺体が見つかったのは、午前6時頃のことでした。
その日はちょうど高浜運河は満潮。

遺体を最初に発見したのは、現場を通りかかった曳き船の船員でした。
「最初は男性だと思いました。ショートヘアにズックだったので…」と語った船員。

白地のシャツにこげ茶のパンツ、それにズック。
所持品はありませんでした。
綺麗な死に顔だったと言います。

所轄の品川署の話では、「入水した時刻は不明。遺体の状態から、前日の午後11時から13日の早朝2時頃までの間ではないかと思われる」という話でした。

高浜運河は目黒川の河口で、この川は島倉さん姉妹が生まれ育った品川を流れています。
姉の敏子さん(当時60歳)が自分の死に場所として品川を選んだという推理は説得力がありました。

敏子さんの家出人捜査願いは、大田区の大森署に出されていました。
提出したのは同居していた弟の征夫さん (当時47歳)と、その妻・正子さん(当時51歳)です。
その甲斐もなく征夫さん宅の電話がなり、署から「身元確認を願います」という連絡があったのです。

元々、島倉家は8人兄弟で姉2人が1歳、6歳で逝去しており、当時は女4人、男2人の6人兄弟姉妹。
敏子さんは長女、敏子さんは四女でした。

ちなみに父親の壽雄(としお)さん品川区北品川に警察官でした。
家族が多かったこともあり、生活は決して楽ではなかったと言います。
しかし、だからこそ兄弟姉妹は強い絆で結ばれていました。

姉の敏子さんがどんな存在だったかについて、島倉さんは自叙伝「花のいのち」(1984年)の中で、こう書いています。

私の生活に歌が加わってから、私は変りました。(中略)そのひとつが姉と共に近所に出かけてアコーディオンを弾きながら歌の練習をしたこと。もうひとつは、これも姉と競うようにして、ノド自慢のコンクールに機会あるごとに出たことでした。実力という点では姉の敏子の方が上でした。でも、姉は小児マヒでした。それで身体が続かないのです。(中略)それでも懲りずに機会がある度に、私はノド自慢のコンクールに出場しました。姉の分まで歌ってやるんだという覚倍で…

敏子さんが亡くなる1年前、征夫さんが大田区山王にマイホームを構えたのを機に、敏子さんさんは同家に引き取られました。
征夫さんには妻・正子さんと長男・粒一さん(当時20歳)、次男・一成さん(当時17歳)の2人の息子がいましたが、家族5人の仲は良かったと言います。

よくボウリングや海水浴に出かけたり、時には征夫さんのピアノの伴奏で、5人そろって島倉さんのヒット曲「この世の花」を歌うこともあったと言います。

けれども、同居を始めた頃から敏子さんの立ち振る舞いが緩慢になり、不自由になりました。
台所に30分も立てないこともあったと言います。

当時、敏子さんはこんなことをロにしていていました。
「お皿ひとつ洗えなくてゴメンネ」、「洗濯できなくてゴメンネ」と。

もちろん、家族はその度に敏子さんの遠慮を笑い飛ばしていました。
敏子さんがどんなに弟一家に感謝していたかは、家に残されていた遺書からも窺い知ることができます。

私の人生幸せでした。ありがとう。この道を選んで、皆に迷惑をかけたけど、みんな仲よくやってよ。本当にありがとう

当初、島倉さんは姉の死が心不全だと聞かされていました。
当時、島倉さんは新宿コマ劇場の「島倉千代子特別公演」に出演中。
征夫さんが「大切な舞台に差し障りがあっては」と慮ったためでしょう。

しかしその後、島倉さんは真相を知ります。
けれども、翌日昼のステージには堂々と立ちました。

昼の部は正午ジャストに始まります。
島倉さんは立見さえ出た満杯の客席に向かって語りかけました。

この公演のちょうど初日にすごく幸せなことがあったんです。私は賞にこれまで縁がなかったんですけど、ちょうど初日にメガロポリス音楽祭で特別賞をいただいたんで。(中略)もし賞をくれるという話があったら、私はどこにでもすぐに飛んで行きます。(場内爆笑)そうそう、そのためにもお帰りの際にはロビーで、私のレコードを買ってくださいね

もう一度、にぎやかな笑いが会場を埋め尽くしました。

この日、昼の第1部が終わったちょうどその頃、東京都品川区の東海寺では敏子さんの葬儀が行われていました。
戒名は新帰元円照院華山妙敏大姉。
遺影には、敏子さんが24~25歳の時に撮った、征夫さんが一番好きだという写真が飾られました。





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