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志村けんとビートたけしの有名な美談はガセだった?!




 

日本のお笑い会の大御所、「志村けん」さんと「ビートたけし」さん…
誰もが知るお二人ですが、過去に志村けんさんがビートたけしさんを救った、という二人の感動的な友情話(美談)が急速に広まりました。

その美談はどのようなもので、本当の話だったのでしょうか?

名前:志村けん(しむらけん)
本名:志村康徳(しむらやすのり)
生年月日:1950年2月20日(69歳)
職業:コメディアン、お笑いタレント、司会者
所属:イザワオフィス
出身:東京都東村山市

 
 

名前:ビートたけし
本名:北野武(きたのたけし)
生年月日:1947年1月18日(72歳)
職業:お笑いタレント、司会者、俳優、映画監督
所属:T.Nゴン
出身:東京都足立区島根
学歴:明治大学工学部(現:理工学部)卒業




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2013年ごろネット上で急速に広まったのが「志村けんとビートたけしの友情」…
美談の内容とは、1986年のフライデー襲撃事件の直後、謹慎し収入が無くなったビートたけしさん、およびその家族と軍団の生活費3億円を志村けんさんが負担したというものです。

当時ビートたけしさんと志村けんさんは、「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と「オレたちひょうきん族」という土曜のゴールデンタイムで視聴率を争うライバル関係でした。
それにもかかわらず志村さんは、あえてたけしさんを支援しました。

謹慎がとけ、たけしさんがそのお金を返済しようとすると、志村さんはこれを断り、こう言ったそうです。

お金は返さなくてもいい、これからもお笑いをやってください。ライバルでいてほしい

と。

この話がFacebookに紹介されたときには、13万人以上が「いいね!」を付けており、出典はたけしさんの著書とされていました。

しかし、これが根も葉もないデマだったということが、当事者の1人であるグレード義太夫さんから明かされたのです。
これはいったいどういうことなのでしょうか。

以前、こんな美談が流布されていました。
以下の美談を変容したものが、今回の話ではないでしょうか?

1981年、ザ・ドリフターズが窮地に陥ったことがあります。
仲本工事さんと志村けんさんが賭博で逮捕され、ドリフターズがテレビに出られなくなる可能性が浮上し、リーダーのいかりや長介さんも「8時だョ!全員集合」の打ち切りの覚悟を決めていました。

しかし、当時ライバルだった萩本欽一さんが、

絶対にやめちゃいけない。辞めるんだったら僕も一緒に全員集合の最終回に出て大暴れする。そして一緒に芸能界を引退する

と言ってくれたのです。

この言葉に感動したいかりやさんはドリフターズの活動を続ける決意を新たにしたのだといいます。

この話はいかりや長介さんの著作「だめだこりゃ」にも登場しており、こちらはおそらく実話だったと思われます。

いかがでしょうか?…
志村さんが欽ちゃんに、たけしさんがいかりやさんに入れ替わってはいますが、著作からの引用という設定、お笑いタレントがライバルを助けるという物語展開がまったく同じなのです。

この話を記憶違いで覚えていた人が流した結果、騒動につながったのではないでしょうか。

いったい、なぜこのような説が飛び出たのか不明ですが、考えてみればフライデー襲撃事件前後のたけしさんはテレビに出ない日はないほどの売れっ子でした。
そのため、フライデー編集部から損害賠償を求められない限り、お金にはさほど困っていなかったと思われ、よくよく考えれば怪しい話とわかるはずです。

しかし、たけしさん自身がフライデー襲撃事件後にチラッと「引退」の二文字が頭をよぎったのは事実であり、一緒にフライデーへ突撃したたけし軍団のメンバーには「責任もって一生お前らを食って行かせる」と語ったのは事実であるといいます。

志村けんさんとたけしさんの美談はデマでしたが、ビートたけしさんとたけし軍団の友情に偽りはなかったようですね。







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